都道府県から日本を散歩する
長崎県
ながさきけん
長崎県は九州の西端に位置し、県庁所在地は長崎市です。東シナ海、対馬海峡、五島灘、有明海に面し、半島、岬、入り江、島々が複雑な海岸線をつくります。対馬、壱岐、五島列島をはじめ多くの島があり、平地は限られ、集落は港や谷、斜面に置かれています。坂道、石垣、船着場、島の古道を歩くと、海が境界ではなく地域を結ぶ道として使われてきたことがわかります。
古代には肥前国と壱岐国、対馬国が置かれ、朝鮮半島や中国大陸との交流と防衛の前線となりました。壱岐の原の辻遺跡、対馬の古墳や山城、各地の遣唐使に関わる港は、海を渡る人と物の動きを伝えます。中世には松浦党などの海上勢力が活動し、港と島を結びました。元寇に関わる史跡、倭寇と交易の記憶も、海峡沿いの道や寺社に残ります。
16世紀以降、平戸や長崎にはポルトガル、オランダ、中国などから商人と宣教師が来航しました。キリスト教は広がる一方で禁教と迫害を受け、潜伏キリシタンの集落と信仰が島や半島に残りました。教会、寺社、墓地、集落の道を歩くと、異なる信仰が同じ土地で交錯したことが見えてきます。近世の長崎は海外交流の窓口となり、出島、唐人屋敷、坂本国際墓地、港の石垣などが交易と文化の往来を伝えます。
近代には造船、炭鉱、港湾が発達し、端島や高島、佐世保の施設などに産業の遺構が残ります。1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下され、多くの命と町が失われました。爆心地、平和公園、被爆建物、慰霊碑を歩くときは、復興した都市の下に失われた暮らしがあったことに向き合う必要があります。産業と戦争、交流と迫害の歴史が同じ港の景観に重なっています。
ちゃんぽん、皿うどん、卓袱料理、カステラ、五島うどん、あご、からすみ、びわなどの食は、海外交流、島の保存、海産物と結びつきます。波佐見焼、三川内焼、べっ甲、教会建築、石工の技も海を越えた材料と技術から育ちました。長崎県を歩くなら、港の坂から祈りの場所へ、島の教会から漁村へ、炭鉱跡から岸壁へと足をつなぐとよいでしょう。石段、石垣、潮待ちの港、平和を祈る碑に目を留めると、海が運んだ出会いと別れの時間が静かに見えてきます。
島ごとに石垣、教会、寺社、墓地、漁具の形が異なり、短い船旅の先で風景が切り替わります。港に着いて最初の坂を上り、集落を振り返ると、海から見られることを前提に家と祈りの場所が置かれたことにも気づきます。
郷土料理・ご当地グルメ
この地域で親しまれている味を22件紹介します。ちゃんぽん
明治時代、長崎市の中華料理店「四海樓」の店主が、中国人留学生に安価で栄養のある食事を提供しようと考案した麺料理です。豚肉、かまぼこ、キャベツ、もやし、イカやエビなどを炒め、太いちゃんぽん麺とともに豚骨や鶏ガラのスープで煮込みます。野菜と魚介を組み合わせる料理として広まり、現在は県内の家庭や飲食店で日常的に食べられています。店ごとに具材やスープの配合は異なりますが、一つの鍋で炒めて煮る調理法が共通しています。
皿うどん
ちゃんぽんと並んで長崎県に定着した麺料理です。明治時代、長崎市の中華料理店で、ちゃんぽんの汁を少なくした料理として考案されたとされています。豚肉、かまぼこ、キャベツなどの野菜、イカやエビなどの魚介を炒め、調味した餡を麺へかけます。麺には油で揚げた極細麺を使うものと、ちゃんぽん用の太麺を炒めるものがあり、地域や店舗によって異なります。現在は県内の家庭や飲食店で広く食べられています。
トルコライス 長崎市
一枚の皿へピラフや炒飯、ナポリタン、豚カツなどを盛り、デミグラスソースやカレーをかけ、サラダなどを添える長崎市の洋食です。昭和期から市内の喫茶店や洋食店で提供され、複数の料理を一皿で味わう形式として定着しました。名称の由来には諸説があり、主食、カツ、ソース、付け合わせは店舗によって異なります。
ヒカド 長崎市
長崎市に伝わる煮込み料理で、ポルトガル人の宣教師や貿易商が食べていたシチューが原型とされています。大根、にんじん、干し椎茸などの野菜と、魚や鶏肉を細かく刻んで煮込み、醤油で味を整えます。仕上げにすりおろしたさつまいもを加えてとろみを付けるのが特徴です。家庭料理として食べられるほか、長崎の異文化交流を伝える料理として卓袱料理の一品にも用いられます。名称はポルトガル語で細かく刻むことを意味する言葉に由来するとされています。
卓袱料理 長崎市
長崎市で成立した、和食、中国料理、西洋料理の要素が交わる宴会料理です。円卓を囲み、大皿に盛られた料理を取り分けて食べます。「お鰭」と呼ばれる鯛の吸い物から始まり、刺身、東坡煮、揚げ物、煮物などを順に供する構成が知られています。個人ごとの膳ではなく同じ卓を囲む形式に、中国や南蛮との交流を重ねた長崎の歴史が表れています。現在は料亭や冠婚葬祭の席などで提供されています。
浦上ソボロ 長崎市
長崎市浦上地区に伝わる、豚肉と野菜を炒め煮にした家庭料理です。16世紀後半、肉食の習慣がなかった地域の人々に豚肉を食べてもらうため、ポルトガル人宣教師が勧めたことが始まりとされています。名称に「ソボロ」とありますが挽肉ではなく、細切りの豚肉を使います。揚げかまぼこ、糸こんにゃく、もやし、ごぼうなどと炒め、醤油、酒、砂糖で味を付け、家庭や学校給食で食べられています。
豚の角煮 長崎市
長崎市で、中国料理の東坡肉を日本の調味料や食べ方に合わせて発展させた煮込み料理です。鎖国期の長崎へ伝わり、卓袱料理では「東坡煮」として供されてきました。皮付きの豚の三枚肉や豚ばら肉を下茹でし、醤油、砂糖、酒などを使って時間をかけて煮込みます。肉をやわらかく仕上げ、煮汁の味を含ませるのが特徴です。現在も卓袱料理の一品として提供されるほか、単独の料理やまんじゅうの具にも使われています。
長崎天ぷら 長崎市
南蛮貿易の時代にポルトガル人から長崎へ伝わったとされる揚げ物です。一般的な天ぷらとは異なり、小麦粉や卵を使った衣そのものに砂糖や塩などで味を付け、厚めの衣に仕上げます。魚介や野菜などの材料へ衣を付けて揚げ、天つゆを添えずにそのまま食べるのが特徴です。ポルトガル由来の調理法が長崎の材料や味付けと結び付いて独自に変化した料理で、南蛮文化の影響を伝える郷土料理として紹介されています。
ハトシ 長崎市
明治時代に清国から長崎市へ伝わり、卓袱料理の一品として定着した揚げ物です。「蝦多士」と表記され、エビなどの魚介のすり身を食パンで挟み、油で揚げて作ります。外側のパンに油が染み、内側には魚介のすり身が入るため、パンと練り物を組み合わせた構成になります。かつては料亭などで供される宴会料理でしたが、現在は飲食店や惣菜店でも提供され、長崎の中国料理文化を伝える料理として親しまれています。
パスティー 長崎市
長崎市に伝わる卓袱料理の一品で、オランダ人から伝わった西洋のパイ料理が原型とされています。鶏肉、もやし、椎茸などを醤油などで煮て器に入れ、小麦粉、卵、ラードなどで作った生地をかぶせて焼き上げます。西洋のパイに日本の食材と調味料を組み合わせた料理で、長崎における海外交流の中で独自に変化しました。現在は卓袱料理の中鉢などとして供され、和食と西洋料理が交わった長崎の食文化を伝えています。
佐世保バーガー 佐世保市
注文を受けてから肉、野菜、卵、チーズなどをバンズで挟んで作る、佐世保市の手作りハンバーガー文化です。戦後、米海軍基地を通じて伝わった調理法をもとに、市内の飲食店で独自のバーガーが作られるようになりました。統一したレシピはなく、バンズ、具材、ソース、大きさは店舗によって異なります。
レモンステーキ 佐世保市
佐世保市で1950年代から広まった、薄切り牛肉を鉄板で焼く料理です。アメリカ文化の影響を受けたステーキを、日本人が食べやすい形へ工夫したことが始まりとされています。熱した鉄板へ薄切りの牛肉を並べ、醤油を基本にレモン果汁を加えたソースをかけて仕上げます。厚い肉を焼く一般的なステーキとは異なり、薄切り肉と酸味のある和風ソースを組み合わせるのが特徴で、佐世保市内の飲食店で提供されています。
島原具雑煮 島原市 雲仙市 南島原市
島原半島に伝わる、丸餅と多くの具材を土鍋で煮込む雑煮です。島原の乱で籠城した人々が、兵糧の餅と山海の食材を一緒に煮たことが始まりという伝承があります。だし汁に鶏肉、白菜、ごぼう、干し椎茸、高野豆腐、焼きあなご、卵焼きなどを加え、丸餅とともに煮込みます。具材や味付けは家庭によって異なり、島原市、雲仙市、南島原市では正月や祝いの席の料理として受け継がれています。
六兵衛 島原市 対馬市
島原市や対馬市に伝わる、さつまいもの粉を使った麺料理です。島原では1792年の災害後、深江村の六兵衛という人物が、やせた土地でも育つさつまいもを粉にし、食べやすい麺へ加工したことが始まりと伝わります。さつまいもの粉を熱湯でこね、穴の開いた専用の道具から鍋へ押し出して茹で、だし汁をかけて食べます。地域ごとに汁や具材に違いがあり、救荒食の工夫を伝える料理として受け継がれています。
かんざらし 島原市
島原市に伝わる、白玉団子を甘い蜜に入れて食べる菓子です。白玉粉を練って小さく丸め、茹でた団子を島原の湧水で冷やします。砂糖や蜂蜜などを使った蜜へ団子を入れ、冷たい状態で供します。豊富な湧水を生活や食品づくりに利用してきた島原の環境と結び付いた食べ方で、家庭のおやつとして作られてきました。現在は市内の甘味処や観光施設などでも提供され、島原の水文化を伝える郷土菓子となっています。
鯨じゃが 諫早市 大村市 東彼杵町 川棚町 波佐見町
長崎県央地域に伝わる、塩鯨とじゃがいもを甘辛く煮る家庭料理です。東彼杵周辺を含む長崎県では古くから鯨食文化があり、肉じゃがが普及した後、牛肉や豚肉の代わりに塩鯨を使って作られるようになったとされています。塩抜きした鯨肉を、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、糸こんにゃくなどと煮込み、醤油と砂糖で味を整えます。現在も県央地域の家庭や鯨料理を扱う飲食店で食べられています。
ぬっぺ 諫早市
諫早市周辺に伝わる、根菜を小さく切って煮込む、とろみのある料理です。里芋、ごぼう、大根、にんじんなどをやわらかく煮て、材料から出る粘りやでんぷんによって汁にとろみを付けます。基本は野菜を使う精進料理ですが、祝い事などでは鶏肉や鯨肉を加えることもあります。地域で収穫される野菜を一度に使える料理で、冷めにくいことから、人が集まる冠婚葬祭や行事の席、家庭のおかずとして受け継がれています。
大村寿司 大村市
大村市に伝わる押し寿司で、室町時代に領地を奪還した大村純伊を祝うため、領民が木箱に炊いた米を広げて作ったことが起源とされています。酢飯の間に白身魚のそぼろなどを挟み、上にはんぺん、ごぼう、にんじん、かんぴょう、錦糸卵などを彩りよく重ねて押し固めます。四角く切り分けて供する料理で、現在も大村市の祭りや祝い事、人が集まる席で作られています。魚や野菜、卵を重ねた断面の彩りも、この寿司を特徴付けています。
アルマド 平戸市
江戸時代初期まで海外貿易の拠点だった平戸地区に伝わる、ゆで卵を魚のすり身で包んだ練り物です。名称はポルトガル語などの「武装する」「包む」に関係するという説があります。ゆで卵を丸ごと魚のすり身で包んで加熱し、切り分けると卵の周囲にすり身の層が現れます。断面の色合いから正月や秋祭りなどの祝いの席に用いられ、現在は平戸市の家庭料理や練り製品として日常的にも食べられています。
対州そば 対馬市
対馬市で栽培される、在来種のそばを使った料理です。そばは大陸から朝鮮半島を経て対馬へ伝わったとされ、島内で他品種との交雑が少なかったため、原種に近い特徴を残すと説明されています。小粒のそばの実を製粉して麺にし、温かい汁やざるそばなどで食べます。対馬の地形や気候の中で栽培と食文化が継承され、地域固有の農産物として国の地理的表示保護制度にも登録されています。現在も島内の飲食店や家庭で食べられています。
かんころ餅 五島市 新上五島町
五島列島に伝わる、乾燥させたさつまいもともち米で作る餅菓子です。「かんころ」は、薄く切って茹でたさつまいもを天日で乾燥させた保存食を指します。水で戻したかんころを蒸したもち米と一緒について形を整え、切り分けて食べます。稲作に適した土地が少ない島で、収穫したさつまいもを保存し、貴重な米と組み合わせる工夫から生まれました。現在は砂糖やごまを加えるものもあり、五島市や新上五島町で作られています。
五島手延うどん 新上五島町
五島列島で作られてきた手延べうどんです。小麦粉の生地に五島特産の椿油を塗りながら細く延ばすため、細麺でも切れにくく、茹でた後に歯ごたえが残ります。製法は中国大陸から伝わったという説があり、島の保存食として暮らしに定着しました。たっぷりの湯で麺を茹で、鍋から直接すくって、あごと呼ばれるトビウオのだしにつけて食べる「地獄炊き」が代表的な食べ方です。新上五島町などで受け継がれています。