都道府県から日本を散歩する
大阪府
おおさかふ
大阪府は近畿地方の中央部に位置し、府庁所在地は大阪市です。西には大阪湾、北には北摂山地、東には生駒山地と金剛山地、南には和泉山脈があり、その間に大阪平野が広がります。淀川、大和川、石津川などが平野を流れ、かつての海岸線や湿地の跡が市街地の中に残ります。堀川、旧街道、河岸段丘、丘陵の古道を歩くと、平らに見える都市にも水と地形の細かな違いがあることがわかります。
古代には難波宮が置かれ、大陸との交通を担う港が政治と文化の入口となりました。百舌鳥・古市古墳群には大型古墳が集中し、台地と平野の縁に古代権力の景観が残ります。墳丘の周囲を歩き、濠と住宅地の位置を見ると、巨大な構造物が現在の町の中にどのように残されたかを感じられます。古代寺院、街道、港の跡も、大阪が海と内陸を結ぶ場所であったことを伝えます。
中世には寺内町、港町、城下町が各地に生まれ、石山本願寺の跡に大坂城が築かれました。近世には堀川と蔵屋敷が米、油、綿、紙、薬、海産物を集め、船場、島之内、天満などに商人と職人の町が広がりました。道頓堀、東横堀川、旧街道沿いを歩くと、水路が道路と同じ役割を持ち、橋のたもとに市場と芝居町が置かれたことがわかります。堺の環濠、富田林の寺内町、岸和田の城下などにも異なる町の成り立ちが残ります。
明治以降は紡績、造船、機械、化学などの工業が発達し、湾岸と河川沿いに工場、倉庫、社宅がつくられました。煉瓦の工場跡、運河、鉄橋、商店街を歩くと、近代産業と庶民の生活が近い距離で重なっていたことが見えてきます。たこ焼き、お好み焼き、うどん、押し寿司、昆布、粟おこしなどの食は、港と市場、粉もの、だし文化、商いの速度と結びつきます。刃物、注染、錫器、ガラス、木工などの手仕事も町工場と職人街に残ります。
大阪府を歩くなら、にぎわう中心街だけでなく、旧河道の曲がり、堤防上の集落、古墳の周濠、寺内町の格子戸、湾岸の倉庫へ足を向けるとよいでしょう。大きな道路の一本裏で水路跡を見つけたり、商店街の先で古い街道に出たりする瞬間に、都市が何度も形を変えながら道の記憶を残してきたことがわかります。優劣を決めず、橋、坂、路地、市場を一つずつ歩くと、大阪は商業都市という一語では収まらない多層の土地として見えてきます。
生駒山地や金剛山地の麓には参詣道と農村が残り、湾岸とは異なる大阪の時間があります。坂を上って平野を振り返り、再び川沿いへ下ると、都市が山、海、低湿地の間に広がったことを足の高低差から理解できます。
郷土料理・ご当地グルメ
この地域で親しまれている味を20件紹介します。お好み焼き
だしで溶いた小麦粉の生地へ、刻んだキャベツ、豚肉、いか、天かす、紅しょうがなどを加え、全体を混ぜてから鉄板で平たく焼く大阪府のお好み焼きです。広島で見られる、薄い生地の上へ野菜、肉、麺、卵を順に重ねる方法とは異なり、大阪では生地と具材を混ぜ合わせて焼きます。両面を焼いてソースを塗り、青のり、削り節、マヨネーズなどを添えます。昭和期に家庭や飲食店へ広がり、大阪の粉食文化を表す料理として定着しました。
とん平焼き
豚肉を鉄板で焼き、卵や薄い生地で包むか上から重ね、ソース、マヨネーズ、青のりなどで仕上げる大阪府内で親しまれる鉄板料理です。お好み焼きより生地が少なく、豚肉と卵を中心にするのが一般的です。キャベツやねぎを加える形式もあり、包み方、具材、ソース、卵の焼き加減は店舗によって異なります。
きつねうどん
昆布や節類で取っただしを使ううどんへ、砂糖、醤油などで甘辛く煮含めた油揚げをのせる大阪府の料理です。1893年ごろ、大阪市船場のうどん店で、添え物として出していた油揚げを客がうどんへ入れて食べたことが始まりと伝えられています。やわらかめのうどん、だしの利いたつゆ、煮汁を含んだ油揚げを組み合わせます。府内のうどん店や家庭で日常的に食べられ、大阪のだし文化を伝える料理となっています。
たこ焼き
だしで溶いた小麦粉の生地へ、タコ、ねぎ、天かす、紅しょうがなどを入れ、半球状のくぼみが並ぶ鉄板で回転させながら丸く焼く大阪発祥の料理です。1930年代、大阪の店でラジオ焼きをもとに、明石の玉子焼から着想を得てタコを加えたことが始まりとされています。焼き上げた後にソース、青のり、削り節などを添えます。家庭用の焼き器も普及し、飲食店、屋台、家庭で広く作られています。
箱寿司
木製の箱型へ酢飯を詰め、下ごしらえした鯛、えび、焼きあなご、厚焼き卵などを彩りよく並べ、上から押して形を整える大阪府の押し寿司です。明治期、大阪市船場の寿司店で、魚介や卵を組み合わせた箱寿司が考案されたと伝えられています。型から外した後に四角く切り分け、複数の具材を一度に味わえるように盛り付けます。持ち運びしやすく、芝居見物の弁当、祝い事、来客時などの料理として定着しました。
丁稚ようかん
小豆あん、砂糖、寒天、水を煮て型へ流し、やわらかく固める大阪府北摂地域の菓子です。一般的な練りようかんより砂糖やあんの割合が少なく、水分を多く含むため、あっさりした甘さとみずみずしい食感があります。名称の由来には、商家の丁稚が里帰りの際に持ち帰ったという説や、材料を練り合わせる「でっちる」という言葉に由来する説があります。冬の農閑期や正月前後に家庭で作られてきました。
豚まん
豚肉、玉ねぎなどを調味して作った具を、小麦粉を発酵させた生地で包み、蒸して仕上げる大阪府の料理です。中国の包子をもとにした中華まんが大阪へ伝わり、豚肉を使うことを明確にするため「豚まん」と呼ばれるようになったとされています。関西では単に「肉」と言う場合に牛肉を指すことが多いことも、呼称の定着に関係したとされます。専門店、百貨店、駅などで販売され、軽食や土産として食べられています。
うどんすき
昆布やかつお節などで取っただしへ、うどん、魚介、鶏肉、野菜、湯葉などを入れ、鍋で煮ながら食べる大阪発祥の料理です。大阪市のうどん店が、うどんと季節の具材を一つの鍋で提供したことから広まったとされています。煮込んでも崩れにくい太めのうどんを使い、具材の味が移っただしとともに食べます。家庭料理というより、専門店や日本料理店で複数人が鍋を囲む食事として定着しました。
小田巻き蒸し
うどん、鶏肉、えび、しいたけ、かまぼこ、三つ葉などを器へ入れ、だしと卵を合わせた液を注いで蒸す大阪府の料理です。うどん入りの大きな茶碗蒸しで、名称は麻糸を丸く巻いた「苧環」に姿が似ることに由来するとされています。江戸末期から明治期に大阪で食べられ、かつては祝い事や来客時の料理として作られました。材料費や調理の手間から家庭で作る機会は減りましたが、郷土料理として継承されています。
ねぎ焼き
小麦粉の生地へ青ねぎを多く加え、牛すじ肉、こんにゃく、天かすなどとともに鉄板で焼く大阪府の粉物料理です。キャベツを中心に使うお好み焼きとは異なり、刻んだ青ねぎの香りと食感を生かします。大阪市内の店で、まかないや軽食として作られた料理が広がったとされています。焼き上げた後は濃いソースではなく、醤油やだし醤油、レモンなどで味を調える例が多く、酒肴や食事として提供されています。
ばらずし
酢飯へ、煮たあなご、しいたけ、高野豆腐、れんこん、にんじんなどを細かく切って混ぜ、錦糸卵やえびなどを飾る大阪府の寿司です。具材を一面に散らすことから「ばらずし」と呼ばれ、家庭や地域によって使う魚介や野菜が異なります。保存しやすい煮物や乾物を活用し、一度に多人数分を作れるため、祭り、祝い事、節句、来客時などの料理として受け継がれてきました。箱寿司やバッテラとは異なる混ぜ寿司です。香川県のばらずしが瀬戸内海の魚介や季節の農産物を取り合わせるのに対し、大阪府では煮あなご、高野豆腐、しいたけなど保存しやすい具を細かく混ぜます。
泉州水なすの浅漬
泉州水なすを塩、ぬか、調味液などで短期間漬け、みずみずしい食感を残して仕上げる大阪府泉州地域の漬物です。水なすは皮が薄く、果肉に多くの水分を含み、手で裂いて食べられるほどやわらかいとされます。収穫後すぐに塩でもみ、ぬか床へ漬ける方法や、液体調味料へ漬ける方法があります。夏を中心に家庭で作られ、現在は個包装の浅漬けやぬか漬けが地域の土産品として販売されています。
鯨のハリハリ鍋
薄切りにした鯨肉と水菜を、昆布などで取っただしへ入れ、醤油や砂糖などで調えながら煮る大阪府の鍋料理です。水菜の茎や葉をかんだときの食感を表す「はりはり」という言葉が名称の由来とされています。鯨肉が身近な食材だった時代に、安価な部位と冬に採れる水菜を組み合わせた料理として広まりました。現在は鯨肉の代わりに豚肉、牛肉、油揚げなどを使う鍋も「はりはり鍋」と呼ばれます。
バッテラ
酢飯の上へ酢で締めたさばをのせ、白板昆布を重ね、木枠で押して棒状に整える大阪府の押し寿司です。もとは明治期に大阪湾で獲れたコノシロを使って作られ、形が小舟に似ていたため、ポルトガル語で小舟を意味する言葉にちなみ「バッテラ」と呼ばれたと伝えられています。後に入手しやすいさばへ材料が変わりました。切り分けて弁当や持ち帰り寿司として食べられ、箱寿司とは別の料理として定着しています。
いか焼き 大阪市
小麦粉を水やだしで溶いた生地へ刻んだいかを加え、鉄板で薄く押し焼きにして、ソースなどで味を付ける大阪市の粉もの料理です。姿焼きのいかではなく、生地といかを一体に焼く軽食を指します。昭和期から百貨店や商店街、屋台などで親しまれ、卵を加える形式もあります。生地、いか、ソース、厚さは店舗によって異なります。
どて焼き 大阪市
牛すじ肉とこんにゃくを、味噌、砂糖、みりんなどを使った煮汁でやわらかく煮込む大阪市の料理です。名称は、鉄鍋の縁へ味噌を土手のように盛り、中央で具材を焼きながら溶けた味噌を絡めた調理法に由来するとされています。現在は最初から味噌だれで煮る作り方も一般的です。ねぎや七味唐辛子を添え、酒肴やおかずとして食べられます。新世界周辺の串カツ店や大衆酒場などで提供されています。
串カツ 大阪市
牛肉、魚介、野菜などを一口大に切って串へ刺し、小麦粉を使った衣と細かいパン粉を付け、油で揚げる大阪市の料理です。大正末期から昭和初期、新世界周辺で働く人が手頃な価格で食べられる料理として広がったとされています。揚げたてをソースへ浸して食べる形式が定着しましたが、共用容器を使う店では衛生上、一度口を付けた串を再び入れない決まりがあります。現在は個別のソースを添える店もあります。
船場汁 大阪市
塩さばの頭や中骨などのあらと大根を昆布だしで煮て、塩や薄口醤油で味を調える大阪市船場の汁物です。明治から大正期、商業の中心地だった船場の商家で、忙しい仕事の合間に短時間で作れる日常食として食べられました。身を別の料理へ使った後の魚のあらを無駄なく利用し、大根とともに煮ることから、大阪の「始末の料理」を表す例とされています。仕上げにねぎやしょうがなどを添えて食べます。
オムライス 大阪市
味付けしたご飯を薄く焼いた卵で包み、ケチャップやソースを添える大阪市発祥説のある洋食です。大阪の洋食店では、胃の調子を崩して白ご飯とオムレツを注文していた常連客のため、店主がケチャップで味を付けたご飯を卵で包んだことが始まりと伝えられています。具材には鶏肉や玉ねぎなどを使い、店や家庭によって炒め方や卵の仕上げが異なります。その後全国へ広がり、家庭料理や洋食店の定番となりました。
くるみ餅 堺市
蒸すかゆでた餅を、青大豆や枝豆などで作る緑色のあんで包む堺市の和菓子です。名称は木の実のクルミではなく、餅をあんで「くるむ」ことに由来するとされています。あんは豆をすりつぶし、砂糖などを加えて作り、店や家庭によってなめらかさや甘さが異なります。堺では室町時代から食べられてきたとする伝承があり、茶の湯文化と結び付いた菓子として、和菓子店や甘味処で提供されています。