都道府県から日本を散歩する
広島県
ひろしまけん
広島県は中国地方の南西部に位置し、県庁所在地は広島市です。南には瀬戸内海と多くの島々、北には中国山地があり、太田川、芦田川、沼田川、江の川の支流が谷と平野をつくります。海岸は入り江と島に細かく分かれ、内陸には盆地、高原、峠が続きます。川沿いの堤、島の坂道、城下の水路、山間の旧道を歩くと、海と山の間を人が何度も行き来してきたことがわかります。
古代には安芸国と備後国が置かれ、山陽道と瀬戸内海航路が西国を結びました。古墳、国府跡、寺院跡、港の遺構は、海上交通と陸路が並行して使われたことを伝えます。厳島神社は島と海を信仰の空間として構成し、潮の満ち引きによって景観が変わります。参道から浜へ歩き、社殿と背後の山を見渡すと、自然の地形そのものが信仰と建築の一部になっていることが見えてきます。
中世には瀬戸内海の海上勢力、山城の武士、港町の商人が活動しました。草戸千軒町遺跡は川辺に栄えた中世の町の暮らしを、出土した陶磁器や木製品とともに伝えます。近世には広島藩、福山藩などが城下町、宿場、港を整え、島々では塩、綿、みかん、船運が発達しました。鞆の浦や御手洗の港町、竹原の町並み、城下の川沿いを歩くと、潮待ちと風待ちが町の時間を決めていたことがわかります。
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、多くの命と町が失われました。原爆ドーム、平和記念公園、被爆建物、川沿いの慰霊碑は、被害の記憶と平和への願いを伝えます。復興した街路を歩くと、現在の都市の下に失われた町の道や暮らしがあったことを忘れずに向き合う必要があります。県内には土砂災害や水害の記憶もあり、砂防施設、石碑、再整備された斜面が土地と災害の関係を示します。
牡蠣、穴子、レモン、柑橘、酒、お好み焼き、もみじ饅頭などの食は、瀬戸内海、島の畑、地下水、港の商いと結びつきます。熊野筆、宮島細工、備後絣、福山琴などの手仕事も、木、繊維、職人の往来から育ちました。広島県を歩くなら、平和の記憶をたどる川辺から港町へ、島の石垣畑から山間の宿へと道をつなぐとよいでしょう。海の静けさ、山の急斜面、復興した都市の道を別々に歩くことで、祈り、海運、産業、災害の時間が重なった土地として見えてきます。
島々には段々畑、防風石垣、雁木の港が残り、山間には製鉄や林業の道があります。都市の川辺から島と山へ足を延ばすと、県の歴史が一つの中心から広がったのではなく、複数の港と谷で育ったことが見えてきます。
郷土料理・ご当地グルメ
この地域で親しまれている味を25件紹介します。漬物焼きそば
広島県北西部で作られる白菜などの漬物を刻み、中華麺や肉、野菜と鉄板で炒める安芸太田町周辺の料理です。冬に漬物を焼いたり炒めたりして食べる地域の習慣を、焼きそばへ取り入れた料理として発信されています。使う漬物、麺、肉、味付け、辛さは家庭や店舗によって異なります。
お好み焼き
薄く延ばした小麦粉の生地へキャベツ、もやし、豚肉などを重ね、別に焼いた中華麺またはうどんと卵を合わせ、ソースを塗って仕上げる広島県のお好み焼きです。大阪で一般的な、生地とキャベツなどの具材を混ぜて焼く方法とは異なり、広島では薄い生地の上へ野菜、肉、麺、卵を順に重ねて焼きます。戦前の一銭洋食を背景に、戦後、野菜や麺を加える現在の形式が地域へ定着したとされています。
かきの土手鍋
鍋の内側へ白味噌や赤味噌を土手のように塗り、かき、白菜、ねぎ、豆腐、きのこ、糸こんにゃくなどを入れて煮る広島県の鍋料理です。加熱しながら味噌を少しずつ崩し、だしの濃さを調整して食べます。名称の由来には、味噌を土手状に塗る形、土手を築いた行商人、かきを売った人物の名など複数の説があります。広島県産かきが旬を迎える冬に、家庭や飲食店で作られています。学校給食に取り入れられる例もあります。
コウネ焼き
牛の前脚付近にある肩ばら肉の一部を薄く切り、鉄板や網で焼いて塩やレモンで食べる広島県の料理です。広島ではこの部位を「コウネ」と呼び、焼肉店や鉄板料理店で提供されています。脂と赤身が層になり、加熱すると脂が溶けるため、短時間で焼いて食感を残します。他地域ではブリスケなどの名称で流通する部位を、広島では独自の呼称と食べ方で定着させた例であり、ねぎを巻いて食べる方法もあります。
小いわしの刺身
広島で「小いわし」と呼ばれるカタクチイワシの頭と内臓を除き、冷水で洗ってうろこを落とし、身を開いて刺身にする料理です。しょうが醤油、酢味噌、わさび醤油などを添えて食べます。広島湾では小いわし漁が行われ、鮮度が落ちやすい魚を漁場に近い地域で生食する方法として定着しました。旬は主に初夏から夏で、家庭では指、スプーン、PPバンドなどを使って手早く身をさばく方法も伝えられています。
あなご飯 広島市 廿日市市
アナゴの骨などで取っただしと醤油で炊いたご飯へ、甘辛いたれを塗って焼いたアナゴの蒲焼きをのせる、廿日市市宮島口周辺と広島市に伝わる料理です。宮島周辺では古くからアナゴが漁獲され、1901年の山陽鉄道開通後、宮島口駅の駅弁として販売された「あなごめし」が広まりました。蒲焼きの煮汁や焼き汁をご飯へ加える作り方もあり、駅弁、飲食店の料理、家庭料理として受け継がれています。
広島つけ麺 広島市
茹でて冷やした中華麺へ、茹でたキャベツ、きゅうり、ねぎ、豚肉などを添え、唐辛子とごまを効かせた冷たい辛口のたれへ付けて食べる広島市の麺料理です。戦後の市内で提供された冷たい麺料理をもとに広まりました。辛さ、酸味、麺、野菜、肉、たれの濃さは店舗によって異なります。
広島菜漬け 広島市
広島菜を塩で漬ける、広島市安佐南区川内地区を中心に作られてきた漬物です。広島菜は葉が大きく、葉柄が幅広いアブラナ科の野菜で、収穫後に塩で荒漬けし、洗浄と選別を経て本漬けします。短期間漬けたものは緑色と歯切れを残し、長く漬けたものは乳酸発酵による酸味が生じます。そのままご飯へ添えるほか、刻んで炒めたり、葉でおむすびを包んだりする食べ方があります。地域の土産品としても販売されています。
汁なし担担麺 広島市
ゆでた中華麺へ、挽肉、ねぎ、山椒、ラー油を使ったたれを絡めて食べる、広島市で2000年代初めから広がった麺料理です。丼の底へたれを入れ、麺と具材を何度も混ぜてから食べます。中国四川省の担担麺を参考にしながら、スープを用いず、花椒のしびれと唐辛子の辛味を前面に出す形式が市内の専門店で定着しました。温泉卵やご飯を加える食べ方もあり、店によって辛さやたれの配合が異なります。
呉冷麺 呉市
平打ちの中華麺を冷やし、甘み、酸味、辛みを組み合わせた冷たいスープへ入れ、チャーシュー、きゅうり、えび、ゆで卵などを載せる呉市の麺料理です。昭和期に市内の食堂で考案され、好みで酢や唐辛子を加える食べ方とともに定着しました。麺、スープ、具材、辛さは店舗によって異なります。
呉の肉じゃが 呉市
じゃがいも、牛肉、玉ねぎ、糸こんにゃくを、醤油と砂糖を基本とする煮汁で煮る呉市の肉じゃがです。呉で伝えられる海軍の調理参考書にある「甘煮」の材料と手順をもとに、地域で再現と普及が進められました。じゃがいもには煮崩れしにくいメークインを使い、煮汁を多く残さず仕上げる作り方が紹介されています。東郷平八郎とビーフシチューに結び付ける説もありますが、確定した発祥としては扱われていません。
魚飯 竹原市
焼いた白身魚の身、錦糸卵、しいたけ、えび、三つ葉などをご飯へ盛り、魚の骨やあらで取っただしをかけて食べる竹原市の料理です。江戸時代、製塩業を営む塩田所有者の「浜旦那」が、来客や祭事でもてなす料理として用いたと伝えられています。魚の種類や具材は季節によって変わり、だしを注ぐ前に彩りよく盛り付けます。家庭で作られる機会が減った後、地域団体や飲食店による継承活動が行われています。
三原焼き 三原市
薄く延ばした生地へキャベツ、麺、豚肉などを重ね、鶏の肝、砂ずり、キンカンなどの鶏もつを加えて焼く三原市のお好み焼きです。昭和30年代初め、養鶏業が盛んだった地域で、入手しやすい鶏もつを具材として使ったことが始まりとされています。鶏もつの部位は店によって異なり、食感と風味の違いを生かして調理されます。「三原焼き」の名称で市内の店舗や地域団体が普及に取り組んでいます。
尾道ラーメン 尾道市
鶏がらや魚介などを使った醤油味のスープへ平打ちの中華麺を合わせ、豚の背脂、チャーシュー、ねぎ、メンマなどを載せる尾道市のラーメンです。瀬戸内の港町にある食堂や中華そば店を通じて広まりました。魚介だしや背脂を使わない店もあり、単一の厳密なレシピではなく、スープ、麺、具材は店舗によって異なります。
いんおこ 尾道市
薄く延ばした生地へキャベツ、ねぎ、豚肉などを重ね、ソースで炒めたうどんを加えて焼く尾道市因島地域のお好み焼きです。昭和30年代、島内の造船所で働く人の食事として、腹持ちを考えて中華麺ではなくうどんを入れる形式が広がったと伝えられています。店によって、のしいか、かまぼこ、砂ずりなどを加えます。「いんおこ」の名称で地域団体が継承と普及に取り組み、文化庁の100年フードに認定されています。
うずみ 福山市
えび、鯛、里芋、にんじん、しいたけなどをだしで煮て椀の底へ入れ、その上からご飯をよそい、熱い汁をかける福山市を中心とした備後地方の料理です。具をご飯の下へ埋めるように盛ることから「うずみ」と呼ばれます。江戸時代の倹約令のもと、ぜいたくとされた具材を隠して食べたという説があります。秋の収穫を祝う料理や来客時の食事として作られ、現在は家庭や地域行事で受け継がれています。
くわいの甘煮 福山市
くわいの皮をむき、芽を残したままだし、砂糖、みりん、醤油などで煮含める福山市の料理です。福山では江戸時代、福山城周辺の堀や湿地を利用して栽培が始まったと伝えられ、現在も主要な産地となっています。大きな芽が伸びる姿を「芽が出る」に重ね、正月のおせち料理や祝い事に用いられてきました。独特のほろ苦さとほくほくした食感があり、甘煮のほか素揚げや炊き込みご飯にも使われます。
府中焼き 府中市
薄く広げた生地へキャベツ、天かす、ひき肉、中華麺、卵などを重ね、鉄板で押さえながら焼いてソースで仕上げる府中市のお好み焼きです。豚ばら肉ではなく牛や豚のひき肉を使い、脂で麺を香ばしく焼く形式が地域で定着しました。麺、肉、具材、焼き方、ソースは店舗によって異なります。
備後府中焼き 府中市
薄く延ばした生地へキャベツ、麺、牛または豚の挽肉を重ねて焼く府中市のお好み焼きです。もやしを使わず、豚ばら肉の代わりに挽肉を加える点が特徴で、加熱中に出る脂によって麺の表面が焼かれます。高度経済成長期、共働き家庭の子どもの食事や間食として地域へ広がったと伝えられています。「備後府中焼き」の名称で、市内店舗、地域団体、アンテナショップなどが継承と普及に取り組んでいます。
ワニの刺身 三次市 庄原市
広島県北部の備北地域で「ワニ」と呼ばれるサメを薄く切り、しょうが醤油などで食べる刺身です。サメ肉は体内の尿素が分解されて生じるアンモニアの働きにより比較的傷みにくく、冷蔵や交通が発達する前には、海から離れた三次市や庄原市へ日本海側から運ばれました。秋祭り、正月、祝い事などの食事として用いられ、刺身のほか煮物、湯引き、天ぷらなどにも調理されています。地域の精肉店や飲食店でも扱われています。
美酒鍋 東広島市
鶏肉、豚肉、白菜、ねぎ、にんじん、こんにゃくなどを鍋で炒め、日本酒、塩、こしょうで調味する東広島市西条の料理です。酒造会社の蔵人が、酒造りの作業中に食べるまかない料理として作ったことが始まりとされています。味付けへ醤油や砂糖を使わず、利き酒へ影響する濃い味や香りを避けたと伝えられています。加熱して酒のアルコール分を飛ばし、酒蔵や飲食店、地域行事で提供されています。
かき飯 江田島市
かきを醤油、酒、みりんなどでさっと煮て、その煮汁とだしで米、ごぼう、にんじん、油揚げなどを炊き、仕上げにかきの身を戻して蒸らす江田島市周辺の炊き込みご飯です。かきを米と最初から炊く方法もあり、家庭によって具材や調味が異なります。広島湾沿岸でかき養殖が盛んになったことを背景に、漁期となる秋から冬の家庭料理として作られてきました。駅弁や飲食店の料理としても提供されています。
かき雑煮 江田島市
昆布やかつお節などで取ったすまし汁へ、丸餅、大根、にんじん、かきなどを入れる江田島市周辺の雑煮です。かきは別に煮て仕上げに加える方法があり、身が硬くなりすぎないよう火を通します。広島湾沿岸でかき養殖が盛んなことを背景に、正月の行事食として作られてきました。「福をかき取る」「福をかき寄せる」という語呂に重ね、縁起物としてかきを用いるという伝承もあります。家庭によって青菜やかまぼこなどを加えます。
さつま 海田町
焼いた白身魚の身と味噌をすり鉢ですり合わせ、火であぶって香りを出し、だしでのばして温かいご飯へかける海田町の料理です。かつてはボラを使い、現在はアジやタイなども用いられます。江戸時代、参勤交代で海田を通った薩摩藩の一行へ出した魚料理をもとに生まれたという説があります。家庭で受け継がれてきましたが、作る機会が減ったため、地域団体が調理体験や学校給食などを通じて継承しています。愛媛県のさつまが南予地方で冷たい魚味噌の汁を麦飯へかけるのに対し、広島県では海田町で焼いた魚と味噌をだしでのばし、温かい飯へかけます。
きなこむすび 北広島町
丸く握ったご飯の中へ梅干しや塩昆布を入れ、表面へきなこをまぶす北広島町壬生地域の行事食です。田植え歌や太鼓に合わせて田植えを行う「壬生の花田植」で、作業をする早乙女や参加者へ振る舞われてきました。丸い形には稲が丸々と実るようにとの願いを込めたと伝えられています。きなこへ砂糖や塩を加える作り方もあり、田植えの時期と地域の農耕行事に結び付いた食べ物として受け継がれています。