CASTLE / HISTORIC SITE

鳥取城

鳥取市中心部の久松山に築かれた城郭で、中世山城を起源に近世城郭へ発展した。羽柴秀吉の兵糧攻めの舞台として知られ、現在は石垣・曲輪・堀などを残す国指定史跡として整備が進められている。

雪の残る鳥取城跡の石垣

INFORMATION

基本情報

種別
城
名城選定
日本100名城
推定築城年代
16世紀中頃(天文年間。天文14年〈1545〉築城説あり)
築城者
因幡山名氏または但馬山名氏による築城とされ、天文14年(1545)に山名誠通が築いたとする説もある。
現況
城跡。久松山の山上ノ丸と山麓の山下ノ丸に石垣・曲輪・堀・天守台などが残り、大手登城路では復元整備が進められている。

STORY

城の歩み

主な城主
武田高信、山名豊国、吉川経家、宮部継潤、池田長吉、池田光政、池田光仲以降の鳥取池田家
城の姿を変えた主な改修
宮部継潤が近世城郭化を進め、関ヶ原の戦い後に池田長吉が山上・山麓の城郭や内堀を整備した。元和3年(1617)以降は池田光政が城下町を含む大改修を行い、その後の池田光仲期までの整備を経て近世鳥取城の基本的な姿が形成された。
廃城・役目を終えた時期
明治6年(1873)の廃城令では存城となったが、明治12年(1879)に軍事的な役目を終え、城内の主要建物は順次解体・撤去された。

HISTORY

お城の歴史

鳥取城は16世紀中頃、久松山に築かれた山城を起源とする。築城主体には諸説があり、山名氏による築城とされる一方、天文14年(1545)に山名誠通が築いたとする記録もある。天正9年(1581)には羽柴秀吉による兵糧攻めで吉川経家が籠城し、開城後は宮部継潤が城主となった。関ヶ原の戦い後には池田長吉が入り、元和3年(1617)から池田光政が城下町を含む大規模な整備を進めた。その後は池田光仲を初代とする鳥取池田家の居城として鳥取藩32万石の中心となった。明治期に主要建物の多くが撤去されたが、久松山には石垣や曲輪、天守台、堀などが残り、現在は大手登城路を中心に復元整備が進められている。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
久松山山頂の本丸・天守台、山麓の二ノ丸・天球丸などの曲輪、石垣、内堀、虎口などが残る。附指定の太閤ヶ平には羽柴秀吉の本陣跡とされる土塁・空堀などの遺構が残る。
建物はいつのもの?
江戸時代の主要な城郭建築は現存しない。擬宝珠橋は2018年、中ノ御門表門は2021年、中ノ御門渡櫓門は2025年に史料や発掘調査成果に基づいて復元された。天球丸の巻石垣も江戸時代末期の補強石垣を復元したものである。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「鳥取城跡 附太閤ヶ平」。昭和32年(1957)12月18日に史跡指定され、昭和62年(1987)8月10日に追加指定された。

SOURCES

出典元

史跡鳥取城跡天球丸『巻石垣』(復元)について

運営者:鳥取市教育委員会文化財課

最終確認日:2026年9月16日

国指定史跡「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」にようこそ!

運営者:鳥取市教育委員会文化財課

最終確認日:2026年9月16日

国指定文化財等データベース「鳥取城跡 附太閤ヶ平」

運営者:文化庁

最終確認日:2026年9月16日

日本100名城®一覧

運営者:公益財団法人日本城郭協会

最終確認日:2026年9月16日

鳥取城中ノ御門渡櫓門の復元について

運営者:鳥取市教育委員会文化財課

最終確認日:2026年9月16日

画像:Suicasmo

出典画像 / Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 International / 表示用にトリミング・リサイズしています

最終確認日:2026年9月16日

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