CASTLE / HISTORIC SITE
武田氏館
山梨県甲府市の武田氏館は、永正16年(1519年)に武田信虎が築いた武田氏三代の本拠で、一般に「躑躅が崎館」と呼ばれます。信虎・信玄・勝頼が居住し政務を行った主城郭を中心に、西曲輪や味噌曲輪などへ拡張。現在は武田神社境内と重なる国指定史跡として堀・土塁などが残ります。
INFORMATION
基本情報
- 所在地
- 山梨県甲府市
- 種別
- 御殿・居館
- 推定築城年代
- 永正16年(1519年)に武田信虎が築き、信虎・信玄・勝頼の三代が本拠としました。天正9年(1581年)に勝頼が新府城へ移る際に一時破却され、武田氏滅亡後は甲府城が整うまで再利用されました。
- 築城者
- 武田信虎。
- 現況
- 国指定史跡。武田神社境内と重なり、堀・土塁・曲輪などが残ります。西曲輪虎口などの保存整備も進められています。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 武田信虎・信玄・勝頼。武田氏滅亡後は織田・徳川・豊臣氏の家臣団が再利用しました。
- 城の姿を変えた主な改修
- 天文20年(1551年)に西曲輪を増設し、その後も周辺施設を拡張。武田氏滅亡後の再利用期には高石垣や天守台などが築かれ、平成19年(2007年)以降は史跡整備が進められています。
- 廃城・役目を終えた時期
- 天正9年(1581年)にいったん破却された後、武田氏滅亡後に再利用され、甲府城が整うと統治拠点としての役割を終えました。
HISTORY
お城の歴史
- 本文
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武田氏館は、永正16年(1519年)に武田信虎が古府中へ本拠を移して築いた戦国期の居館です。一般には「躑躅が崎館」と呼ばれ、信虎、信玄、勝頼の武田氏三代が居住し、ここで政務を行いました。
甲府市によれば、当初は一重の堀で囲まれた方形の主城郭でしたが、武田氏の勢力拡大とともに周辺施設が増え、東日本でも最大級の規模をもつ戦国期居館へ発展しました。天文20年(1551年)には信玄の嫡男・義信の館として西曲輪が築かれ、北側には味噌曲輪や御隠居曲輪などが配置されました。
天正9年(1581年)、勝頼が新府城へ移る際に館はいったん破却されますが、翌年の武田氏滅亡後は織田・徳川・豊臣氏の家臣団によって甲斐統治の拠点として再利用されました。館内に残る一部の高石垣や天守台は、この再利用期に築かれた構造物と考えられています。
甲府城が整うと統治拠点としての役割を終え、近代には大正8年(1919年)に武田神社が創建されました。現在は国指定史跡「武田氏館跡」として、堀、土塁、曲輪などの保存整備と公開活用が続けられています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 堀、土塁、曲輪、西曲輪虎口、石垣、天守台など。
- 建物はいつのもの?
- 武田氏時代の館建物は現存しません。現在の武田神社社殿は1919年創建以降の近代建築で、西曲輪虎口などは保存整備・修復されたものです。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「武田氏館跡」。昭和13年(1938年)5月30日指定。
SOURCES
出典元
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武田氏館跡
甲府市
最終確認日:2026年8月9日
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史跡武田氏館跡の整備と活用
甲府市
最終確認日:2026年8月9日
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日本100名城®一覧
公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年8月9日