CASTLE / HISTORIC SITE

小田原城

神奈川県小田原市の小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いた城を起点とし、後北条氏の関東支配の本拠として拡張された平山城です。1590年には城下町まで囲む総延長約9kmの総構が築かれ、江戸時代には近世城郭へ改修。現在は復興天守と復元城門、総構の土塁・空堀が共存します。

神奈川県小田原市の小田原城。1960年に復興された天守閣

INFORMATION

基本情報

種別
城
名城選定
日本100名城
推定築城年代
15世紀中頃に大森氏が築いたと考えられ、後北条氏5代が拡張。1590年には総構を形成。江戸期に近世城郭へ改修され、明治3年(1870年)に廃城。
築城者
大森氏。後北条氏5代、大久保氏・稲葉氏などが時代ごとに整備・改修しました。
現況
国指定史跡。本丸・二の丸を中心に城址公園として整備され、周辺には総構の土塁・空堀が残ります。天守は復興、城門は復元です。

STORY

城の歩み

主な城主
大森氏、小田原北条氏、大久保氏、稲葉氏など。
城の姿を変えた主な改修
後北条氏が総構まで拡張。江戸期に近世城郭へ改修。1960年に天守閣を復興し、1971年に常盤木門、1997年に銅門、2009年に馬出門を復元。
廃城・役目を終えた時期
明治3年(1870年)に廃城となり、主要建物は解体されました。

HISTORY

お城の歴史

小田原城の前身は、15世紀中頃に西相模を支配した大森氏が八幡山付近に築いた山城と考えられています。15世紀末に伊勢宗瑞が小田原へ進出すると、後北条氏5代の関東支配の本拠として約100年にわたり整備・拡張されました。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めに備え、後北条氏は城だけでなく城下町まで土塁と堀で囲う総延長約9kmの「総構」を築き、城域は最大規模に達します。北条氏滅亡後は大久保氏、稲葉氏などが城主となり、江戸時代には石垣や堀を備えた近世城郭へ改修され、箱根を控えた関東防御の要衝として幕末まで使われました。明治3年(1870年)に廃城となり、主要建物は解体されます。さらに大正12年(1923年)の関東大震災で石垣の多くが崩落しました。現在の城址公園では、震災後に積み直された石垣、昭和35年(1960年)に復興された天守閣、後年に復元された常盤木門・銅門・馬出門などを見ることができます。一方、周辺丘陵には戦国期の総構の土塁や空堀も残り、中世と近世という二つの時代の小田原城を比較できます。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
堀、土塁、曲輪、総構の空堀・土塁、石垣など。現在の城址公園石垣の多くは1923年の関東大震災後に積み直されています。
建物はいつのもの?
江戸期の城郭建造物は現存しません。天守閣は1960年の鉄筋コンクリート造の復興、常盤木門・銅門・馬出門は後世の復元です。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「小田原城跡」。本丸・二の丸の大部分と総構の一部などが指定されています。

SOURCES

出典元

史跡・小田原城跡

運営者:小田原市

最終確認日:2026年8月9日

小田原城

運営者:小田原市

最終確認日:2026年8月9日

日本100名城®一覧

運営者:公益財団法人日本城郭協会

最終確認日:2026年8月9日

画像:Σ64

Wikimedia Commons / CC BY 3.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

最終確認日:2026年8月9日

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街の辞書。

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