CASTLE / HISTORIC SITE
彦根城
彦根城は、滋賀県彦根市の彦根山(金亀山)に築かれた近世の平山城です。江戸時代を通じて井伊氏の居城となり、国宝の現存天守をはじめ櫓や門、石垣、堀などが良好に残る国の特別史跡です。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 名城選定
- 日本100名城
- 推定築城年代
- 慶長9年(1604)に本格的な築城を開始。前期・後期の工事を経て、元和8年(1622)頃に城下町を含む城郭の全容がほぼ完成した。
- 築城者
- 井伊直継の代に築城を開始し、井伊直孝が大坂の陣後に工事を引き継いで完成させた。築城には幕府から奉行が派遣され、近隣諸国の大名も動員された。
- 現況
- 国の特別史跡として保存される現存城郭。国宝の天守をはじめ複数の櫓・門・馬屋が現存し、本丸や西の丸などの郭、石垣、内堀・中堀、大堀切、登り石垣なども良好に残る。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 井伊氏。井伊直継、直孝をはじめ、幕末の井伊直弼まで彦根藩主井伊家が代々居城とした。
- 城の姿を変えた主な改修
- 慶長9年(1604)からの前期工事で本丸や鐘の丸など城郭主要部を整備し、大坂の陣後に井伊直孝が後期工事を再開して元和8年(1622)頃までに城下町を含む全容を整えた。明和4年(1767)の火災後には二の丸佐和口多聞櫓が明和6~8年(1769~1771)に再建され、西の丸三重櫓も嘉永6年(1853)に大幅な改修を受けている。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治4年(1871)の廃藩置県により彦根藩が廃止され、彦根城は藩城としての役目を終えた。その後は兵部省・陸軍省の管轄となり一部の建物が撤去されたが、明治11年(1878)に解体中止と保存が命じられ、主要建造物は残された。
HISTORY
お城の歴史
関ヶ原の戦い後、佐和山城に入った井伊直政は新たな城の建設を構想しましたが、慶長7年(1602)に死去しました。その後、井伊直継の代となった慶長9年(1604)に彦根山で本格的な築城が始まり、幕府や近隣大名も動員された前期工事で本丸や天守などが整えられました。大坂の陣による中断を経て、井伊直孝が後期工事を進め、元和8年(1622)頃には城下町を含む城郭の全容がほぼ完成しました。以後、幕末まで井伊氏の居城として機能します。明治4年(1871)の廃藩置県によって藩城としての役目を終え、一部の建物は撤去されましたが、明治11年(1878)には解体中止と保存が命じられました。天守や櫓、堀、石垣などが今日まで残り、城跡は国の特別史跡に指定されています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 天守、附櫓・多聞櫓、太鼓門・続櫓、西の丸三重櫓・続櫓、二の丸佐和口多聞櫓、天秤櫓、馬屋などの建造物が現存する。本丸、西の丸、鐘の丸などの郭、高石垣、内堀・中堀、大堀切、全国でも例の少ない登り石垣なども残る。
- 建物はいつのもの?
- 天守は慶長11~12年(1606~1607)頃に完成した現存建造物で、大津城の旧天守を移築した可能性が高いと考えられている。太鼓門や天秤櫓、西の丸三重櫓も築城期の建造物を基本とし、西の丸三重櫓は嘉永6年(1853)に大規模改修された。二の丸佐和口多聞櫓の現存建物は明和4年(1767)の火災後、明和6~8年(1769~1771)に再建されたもの。馬屋は元禄頃の建築とされる。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 城跡は国の特別史跡「彦根城跡」で、昭和26年(1951)に史跡、昭和31年(1956)に特別史跡に指定され、平成28年(2016)に一部が追加指定された。建造物では「彦根城天守、附櫓及び多聞櫓」が国宝。「彦根城太鼓門及び続櫓」「彦根城西の丸三重櫓及び続櫓」「彦根城二の丸佐和口多聞櫓」「彦根城天秤櫓」「彦根城馬屋」が国の重要文化財。城内の下屋敷・庭園「玄宮楽々園」は国の名勝に指定されている。
SOURCES
出典元
- 国指定文化財等データベース 彦根城天守、附櫓及び多聞櫓
-
運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月17日
- 国指定文化財等データベース 彦根城跡
-
運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月17日
- 彦根城内の文化財
-
運営者:彦根市
最終確認日:2026年9月17日
- 日本100名城®一覧
-
運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月17日
- 特別史跡彦根城跡
-
運営者:彦根市
最終確認日:2026年9月17日
- 画像:Jnn
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最終確認日:2026年9月17日