CASTLE / HISTORIC SITE
岡山城
岡山城は、岡山市中心部の旭川沿いに築かれた近世平山城です。宇喜多秀家が現在につながる城郭を整え、小早川氏・池田氏が拡張しました。石垣や堀、現存する月見櫓などが残り、天守は戦災焼失後に再建されています。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 名城選定
- 日本100名城
- 推定築城年代
- 現在につながる岡山城は、天正18(1590)年頃に宇喜多秀家が築城を開始し、慶長2(1597)年に天守が完成したと伝わる。前身の石山の城は宇喜多直家が天正元(1573)年頃に本拠として改修したとされる。
- 築城者
- 現在につながる近世岡山城は宇喜多秀家が築城。前身となる石山の城は宇喜多直家が改修して本拠とした。
- 現況
- 城跡。国指定史跡として本丸などが保存され、石垣や堀、月見櫓などが残る。天守は昭和41(1966)年に再建され、現在は展示施設として公開されている。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 宇喜多直家・秀家、小早川秀秋、池田忠継、池田忠雄、池田光政をはじめとする池田氏
- 城の姿を変えた主な改修
- 宇喜多秀家が天正18(1590)年頃から本丸を岡山の丘へ移して城郭と城下町を整備した。慶長6(1601)年頃には小早川秀秋が城を改築し外堀を整備。池田氏の時代にも西の丸や本丸が改修され、池田忠雄の元和・寛永期までに近世岡山城の城郭構成がほぼ完成した。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治6(1873)年の廃城令後、城郭建造物は順次撤去され、明治12(1879)年に御殿、明治15(1882)年に多くの櫓や城門が取り壊された。天守は残されたものの、昭和20(1945)年6月29日の岡山空襲で焼失した。
HISTORY
お城の歴史
岡山城の前身は石山にあった城で、宇喜多直家が天正元(1573)年頃に本拠としたと伝わります。直家の子・秀家は天正18(1590)年頃から本丸を隣接する岡山の丘へ移して新たな城郭と城下町の建設を進め、慶長2(1597)年に天守が完成したとされています。関ヶ原の戦い後に入城した小早川秀秋は外堀などを整備し、その後の池田氏も本丸や西の丸を改修しました。池田忠雄の時代までに近世城郭としての姿がほぼ完成し、寛永9(1632)年以降は池田光政の系統が幕末まで城主を務めました。明治期には多くの建物が撤去され、残った天守も昭和20(1945)年の岡山空襲で焼失しました。現在の天守は昭和41(1966)年の再建で、月見櫓や西丸西手櫓、各時代の石垣などが往時の城郭を伝えています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 本丸を中心とする各時代の石垣、内堀、曲輪などが残る。建造物では本丸の月見櫓と西の丸の西丸西手櫓が現存するほか、宇喜多秀家期の石垣も発掘・保存されている。
- 建物はいつのもの?
- 江戸時代から現存する月見櫓は池田忠雄の時代、17世紀前半に建てられた国指定重要文化財。西丸西手櫓も現存する国指定重要文化財である。宇喜多秀家が築いた天守は昭和20(1945)年の岡山空襲で焼失し、現在の天守は昭和41(1966)年に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。廊下門や不明門なども昭和41(1966)年に再建・再現され、天守は令和4(2022)年に大規模改修を終えてリニューアルした。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「岡山城跡」。昭和62(1987)年5月30日指定、平成19(2007)年2月6日追加指定。建造物では「岡山城月見櫓」と「岡山城西丸西手櫓」が国指定重要文化財。
SOURCES
出典元
- 国指定文化財等データベース「岡山城月見櫓」
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース「岡山城西丸西手櫓」
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース「岡山城跡」
-
運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 岡山城の歴史
-
運営者:岡山城
最終確認日:2026年9月18日
- 岡山城跡
-
運営者:岡山市
最終確認日:2026年9月18日
- 日本100名城®一覧
-
運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月18日
- 歴代城主の紹介
-
運営者:岡山城
最終確認日:2026年9月18日
- 画像:Martin Falbisoner
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出典画像 / CC BY-SA 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年9月18日