CASTLE / HISTORIC SITE
佐伯城
佐伯城は、大分県佐伯市の城山に毛利高政が築いた近世山城です。山頂に本丸や二の丸などの曲輪と石垣を配し、麓に三の丸を構えた城郭で、現在も石垣や城道、三の丸櫓門などが残っています。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 慶長7(1602)年に築城開始、慶長11(1606)年に完成したと伝わる。
- 築城者
- 毛利高政
- 現況
- 城跡。山頂部の曲輪群や石垣、石敷きの城道、雄池・雌池などが残り、麓の三の丸には櫓門が現存する。城山は都市公園として利用されている。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 毛利高政を初代とする佐伯藩毛利氏12代
- 城の姿を変えた主な改修
- 寛永14(1637)年に三の丸御殿の増築と櫓門の創建が行われ、三の丸が現在につながる形に整えられた。宝永4(1707)年の地震後、6代毛利高慶の時代には宝永6(1709)年から享保13(1728)年まで約20年にわたる大修築が行われ、天守を除く城郭が修築された。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治4(1871)年の廃藩置県により、佐伯藩の藩庁・毛利氏の居城としての役割を終えた。
HISTORY
お城の歴史
佐伯城は、慶長6(1601)年に豊後国佐伯へ入部した毛利高政が、翌慶長7(1602)年から築城を始め、慶長11(1606)年に完成したと伝わります。標高約144mの八幡山に本丸、本丸外曲輪、二の丸、西出丸、北出丸を築き、山麓には三の丸を設けました。元和3(1617)年の落雷では二の丸の建物が焼失し、天守も17世紀のうちに失われたと考えられています。寛永14(1637)年には三の丸御殿の増築と櫓門の創建が行われ、以後は三の丸が藩政と藩主生活の中心となりました。宝永4(1707)年の地震後には約20年に及ぶ大修築が行われています。毛利氏12代の居城として続き、明治4(1871)年の廃藩置県後に城としての役割を終えました。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 本丸、本丸外曲輪、二の丸、西出丸、北出丸、三の丸などの曲輪、石垣、櫓台、石敷きの城道、雄池・雌池、門や櫓の礎石などが残る。三の丸には櫓門が現存する。
- 建物はいつのもの?
- 山頂部の天守や櫓などの建造物は現存しない。天守は17世紀のうちに失われたと考えられている。三の丸櫓門は寛永14(1637)年に創建され、享保11(1726)年と天保3(1832)年に建て替えられ、昭和50(1975)年にも修復された現存建造物。三の丸御殿玄関の一部も船頭町へ移築され、住吉御殿として残る。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「佐伯城跡」。令和5(2023)年3月20日指定。現存する「佐伯城三ノ丸櫓門」は大分県指定有形文化財で、昭和51(1976)年3月30日指定。
SOURCES
出典元
- 佐伯城跡について
-
運営者:佐伯市
最終確認日:2026年9月18日
- 史跡 佐伯城跡のこれから(保存と活用)
-
運営者:佐伯市
最終確認日:2026年9月18日
- 史跡佐伯城跡保存活用計画
-
運営者:佐伯市教育委員会
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース「佐伯城跡」
-
運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 指定文化財一覧
-
運営者:佐伯市
最終確認日:2026年9月18日
- 日本100名城®・続日本100名城® 地図から探す
-
運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月18日
- 画像:Mukai
-
出典画像 / CC BY-SA 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年9月18日