CASTLE / HISTORIC SITE
高遠城
長野県伊那市の高遠城は、築城年代が明らかでない高遠氏の拠点を、天文16年(1547年)に武田信玄が改修したとされる平山城です。天正10年(1582年)には仁科盛信が守る城が織田勢の攻撃で落城し、その後は近世城郭として再編。現在は国指定史跡として曲輪・堀・土塁などが残ります。
INFORMATION
基本情報
- 所在地
- 長野県伊那市
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 築城年代は不明。高遠氏の拠点と考えられ、天文16年(1547年)に武田信玄が改修。天正10年(1582年)に落城後も近世城郭として再編され、明治5年(1872年)に廃城。
- 築城者
- 築城者は不明。高遠氏の拠点と考えられ、天文16年(1547年)に武田信玄が改修しました。
- 現況
- 国指定史跡。曲輪、横堀・竪堀、土塁、大手枡形跡の石垣などが残り、城跡の一部は高遠城址公園として利用されています。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 高遠氏、武田氏、保科氏、鳥居氏、内藤氏など。
- 城の姿を変えた主な改修
- 天文16年(1547年)に武田信玄が改修。戦国末期の落城後から江戸初期にも大きく改修され、現在の曲輪配置は近世城郭の姿をよく残します。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治5年(1872年)に廃城となり、翌年までに御殿・門・土蔵など城内建物の大半が取り壊されました。
HISTORY
お城の歴史
- 本文
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高遠城は、14世紀頃からこの地域を治めた高遠氏の拠点と考えられていますが、築城年代は明らかではなく、戦国時代に武田信玄が高遠を掌握して天文16年(1547年)に城を改修したことが伊那市の公式資料で確認できます。その後は秋山虎繁、諏訪勝頼、武田信廉、仁科盛信らが城主を務め、南信濃支配の拠点として使われました。
天正10年(1582年)3月、仁科盛信は織田信忠からの降伏勧告に応じず籠城し、織田勢の攻撃を受けて高遠城は落城します。本能寺の変後には保科正直が高遠を押さえ、江戸時代には保科氏、鳥居氏、内藤氏の居城となりました。
戦国末期の落城後から江戸初期にかけて城は大きく改修され、大手を東側から西側へ移したとも伝えられ、現在の曲輪配置は江戸時代の姿をよく残しています。明治5年(1872年)に廃城となり、翌年までに御殿や門、土蔵などの建物は取り壊されました。
現在は国指定史跡として、曲輪、横堀・竪堀、土塁、大手枡形跡の石垣などが残り、城跡の一部は高遠城址公園として利用されています。旧大手門は廃城後に払い下げられ、縮小された状態で城内近くへ戻されたもので、本丸入口の問屋門は城下の問屋役所から後世に移築された門です。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 曲輪、横堀・竪堀、土塁、大手枡形跡の石垣など。三の丸には旧藩校進徳館が残ります。
- 建物はいつのもの?
- 城郭建造物の大半は廃城後に失われました。旧大手門は払い下げ後に縮小された状態で城内近くへ戻されたもの。本丸入口の問屋門は城下の問屋役所から後世に移築された門で、城の旧門ではありません。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「高遠城跡」。昭和48年(1973年)5月26日指定。
SOURCES
出典元
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高遠城跡の魅力をご紹介
伊那市
最終確認日:2026年8月9日
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国指定文化財等データベース 高遠城跡
文化庁
最終確認日:2026年8月9日
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日本100名城®一覧
公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年8月9日
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画像:photo: Qurren (talk) Taken with Canon PowerShot G9 X
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Wikimedia Commons
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CC BY-SA 4.0
/ 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年8月9日