CASTLE / HISTORIC SITE
山形城
山形県山形市の山形城は、斯波兼頼が14世紀に築城を始め、最上義光が戦国末期から近世初頭に城郭と城下町を大きく整えた平城です。最上氏改易後の元和8年(1622年)には鳥居忠政が大規模な改修を行い、現在残る二ノ丸の堀・土塁・石垣の原型につながりました。天守を持たず本丸御殿を中心とした広大な城域をもち、現在は霞城公園として遺構の保存と復原整備が進められています。
INFORMATION
基本情報
- 所在地
- 山形県山形市
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 延文2年(1357年)に斯波兼頼が築城を始めたとされ、最上義光の時代に大規模化。元和8年(1622年)以降、鳥居忠政が改修。
- 築城者
- 斯波兼頼を祖とし、最上義光が城郭と城下町を大きく整備。最上氏改易後は鳥居忠政が大規模改修を行いました。
- 現況
- 二ノ丸の堀・土塁・石垣などが現存。二ノ丸東大手門、本丸一文字門周辺などは史資料と発掘成果をもとに復原整備されています。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 斯波兼頼を祖とする最上氏、最上義光、鳥居忠政、保科正之、その後の松平氏・堀田氏・秋元氏・水野氏など。
- 城の姿を変えた主な改修
- 最上義光が本丸・二ノ丸・三ノ丸を備える大城郭と城下町を整備。元和8年(1622年)に入城した鳥居忠政が大規模改修を行い、現在残る二ノ丸の堀・土塁・石垣の原型を整えたと伝えられています。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治維新後に城としての役割を終え、城内建物は失われました。現在は本丸・二ノ丸を中心に霞城公園として保存・整備されています。
HISTORY
お城の歴史
- 本文
-
山形城の始まりは南北朝時代にさかのぼります。延文元年(1356年)に羽州探題として山形へ入った斯波兼頼は、この地を政治拠点と定め、翌年から築城を始めたとされています。兼頼の子孫はのちに最上氏を名乗り、山形城は最上氏の本拠として受け継がれました。
戦国時代末期、最上氏11代の最上義光は勢力を広げるとともに山形城と城下町を大きく整えました。関ヶ原の戦いと同時期の慶長出羽合戦を経て、義光は57万石の領地を認められます。山形城は本丸・二ノ丸・三ノ丸を三重の堀と土塁で囲む全国有数の規模の平城となり、羽州街道や商人町・職人町を組み込んだ城下町の中心として機能しました。
最上義光の死後に起きた最上騒動を経て、元和8年(1622年)に最上氏は改易されます。新たに入城した鳥居忠政は山形城を大規模に改修し、二ノ丸の堀、土塁、石垣など現在につながる城郭の原型を整えたと伝えられています。その後は保科正之、松平氏、堀田氏、秋元氏、水野氏など譜代大名が城主となりました。
最上氏時代の大藩から、幕末には5万石規模の藩へ変化したため、広大な城郭を維持することは歴代城主にとって大きな課題となりました。山形城には一般的な天守はなく、本丸御殿が本丸の中心施設でした。建物そのものは失われていますが、絵図、発掘調査、出土した瓦などを手がかりに、本丸御殿や城内施設の姿を明らかにする調査が続いています。
現在、山形城跡の本丸・二ノ丸は霞城公園として利用されています。二ノ丸の堀、土塁、石垣などが残り、二ノ丸東大手門や本丸一文字門周辺では史資料と発掘成果をもとに復原整備が進められました。昭和61年(1986年)に国の史跡へ指定され、現在も発掘調査と保存活用を続けながら、最上氏から江戸時代の歴代城主へ受け継がれた大城郭の輪郭を伝えています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 二ノ丸の堀・土塁・石垣、本丸・二ノ丸の城郭地形など。復原された二ノ丸東大手門、本丸一文字門の石垣・大手橋・高麗門なども城の規模を伝えます。
- 建物はいつのもの?
- 江戸時代の主要城郭建造物は現存していません。現在見られる門・橋などは史資料や発掘調査に基づく復原整備で、遺構としては堀・土塁・石垣が中心です。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 山形城跡は昭和61年(1986年)5月28日に国指定史跡となり、その後追加指定されています。
SOURCES
出典元
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国指定史跡 山形城
山形市
最終確認日:2026年8月9日
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山形城と歴代の城主
山形市
最終確認日:2026年8月9日
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日本100名城®一覧
公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年8月9日
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画像:Saigen Jiro
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Wikimedia Commons
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CC0 1.0
/ 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年8月9日