CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

甲府城

山梨県甲府市の甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命で築かれた近世城郭です。羽柴秀勝、加藤光泰らの時代を経て浅野長政・幸長父子の頃に完成し、江戸時代には徳川一門や柳沢氏の城となりました。現在は国指定史跡で、高石垣と復元された稲荷櫓・鉄門・山手御門などを見学できます。

山梨県甲府市の甲府城。石垣と復元整備された城郭景観

INFORMATION

基本情報

所在地
山梨県甲府市
種別
推定築城年代
武田氏滅亡後の豊臣政権期に築城が進み、羽柴秀勝・加藤光泰らを経て浅野長政・幸長父子の時代に完成。明治6年(1873年)に廃城。
築城者
豊臣秀吉の命。羽柴秀勝、加藤光泰らが築城を進め、浅野長政・幸長父子の時代に完成しました。
現況
国指定史跡。高石垣・天守台などが残り、舞鶴城公園・甲府市歴史公園として公開。稲荷櫓・鉄門・山手御門などは復元です。

STORY

城の歩み

主な城主
加藤氏、浅野氏、徳川将軍家一門、柳沢氏、幕府直轄(甲府勤番)。
城の姿を変えた主な改修
浅野氏期に築城が進展し、柳沢氏期に修築・城下町整備。1727年の大火後に主要建物を失い、近現代には稲荷櫓、鉄門、山手御門などが復元されました。
廃城・役目を終えた時期
明治6年(1873年)に廃城となり、明治10年前後に主要建物の多くが取り壊されました。

HISTORY

お城の歴史

本文
甲府城は、戦国大名武田氏の城ではなく、武田氏滅亡後に築かれた近世城郭です。天正10年(1582年)に武田氏が滅ぶと甲斐は織田氏、続いて徳川家康の支配を経て、豊臣秀吉の天下統一後には豊臣政権の領域となりました。

甲府市の公式説明では、秀吉は関東へ入った家康を封じ込め監視する目的もあり、甲斐国に甲府城を築いたと考えられています。築城は羽柴秀勝、加藤光泰らによって進められ、浅野長政・幸長父子の時代に完成をみました。

関ヶ原の戦い後は再び徳川方の城となり、徳川義直、忠長ら将軍家一門が城主を務めます。宝永年間には柳沢吉保が城主となり、城の修築や城下町整備が進められました。

享保12年(1727年)の大火では本丸御殿や銅門など主要建物を焼失し、その後は幕府直轄地として甲府勤番が管理しました。明治6年(1873年)に廃城となり、明治10年前後には主要建物の多くが取り壊されました。

現在は国指定史跡「甲府城跡」として、高い石垣や天守台が残り、稲荷櫓、鉄門、山手御門などが復元され、舞鶴城公園・甲府市歴史公園として公開されています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
高石垣、天守台、堀、水溜、石切場跡など。
建物はいつのもの?
江戸期の城郭建造物は現存しません。稲荷櫓、鉄門、山手御門などは近現代の復元建造物です。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「甲府城跡」。平成31年(2019年)2月26日指定。

SOURCES

出典元

  • 甲府城跡

    甲府市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 甲府城

    甲府市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月9日

  • 画像:江戸村のとくぞう / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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