CASTLE / HISTORIC SITE
志波城跡
志波城跡は、岩手県盛岡市に残る平安時代初期の古代城柵跡です。延暦22年(803)に坂上田村麻呂が造営し、朝廷による北上盆地北部の統治拠点として機能しました。現在は国指定史跡として復元整備されています。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 延暦22年(803)に造営。
- 築城者
- 桓武天皇の命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂が延暦22年(803)に造営した。
- 現況
- 国指定史跡として保存され、志波城古代公園として整備されている。発掘調査で確認された遺構の位置をもとに、外郭南門、築地塀、櫓、政庁の門、官衙建物、竪穴建物などが復元されている。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 中世城郭のような城主は置かれていない。朝廷から派遣された国司や鎮官などの官人が城司として常駐し、行政・軍事を担った。
- 城の姿を変えた主な改修
- 存続期間が約10年と短く、城全体を大きく造り替えた改修は確認されていない。発掘調査では政庁の北門や東西門に建て替えの痕跡があり、施設の一部が存続中に改築されたことが確認されている。
- 廃城・役目を終えた時期
- 弘仁2年(811)末、雫石川による水害を理由に志波城の移転が決定された。弘仁3年(812)頃から南方の徳丹城へ機能が移され、志波城は造営から約10年で役割を終えた。
HISTORY
お城の歴史
志波城は、桓武天皇の命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂によって延暦22年(803)に造営された古代城柵です。陸奥国最北端に置かれた最大級の城柵で、一辺約840メートルの外郭築地塀に囲まれ、中央には政庁、その周囲には官衙や兵士の居住施設などが配置されました。城柵は中世の城とは異なり、朝廷が蝦夷を統治し、行政・軍事活動を行うための拠点でした。弘仁2年(811)には志波城を拠点とした戦いを経て北方支配が進みましたが、雫石川のたび重なる水害を理由に移転が決まり、翌812年に徳丹城の造営が始まります。志波城は約10年で役割を終えました。遺跡は昭和59年(1984)に国の史跡となり、発掘成果をもとに外郭南門や築地塀、政庁などが復元されています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 外郭築地塀や外大溝、政庁、官衙、竪穴建物などの遺構が地下に残る。発掘調査により、一辺約840メートルの外郭、約60メートル間隔の櫓、外郭南門、政庁の正殿・脇殿、官衙建物群などの配置が確認されている。
- 建物はいつのもの?
- 志波城当時の建造物は現存していない。現在見られる外郭南門は平成7~9年(1995~1997)、政庁南門は平成14~15年(2002~2003)に、発掘調査成果をもとに復元されたもの。築地塀、櫓、政庁東西門、官衙建物、竪穴建物なども平成期以降の史跡整備で復元されている。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「志波城跡」。昭和59年(1984)9月14日指定。指定面積は635,977.64平方メートル。
SOURCES
出典元
- 国指定文化財等データベース 志波城跡
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 志波城の復元 外郭南門
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運営者:盛岡市
最終確認日:2026年9月18日
- 志波城の復元 政庁南門
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運営者:盛岡市
最終確認日:2026年9月18日
- 志波城の復元 概要
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運営者:盛岡市
最終確認日:2026年9月18日
- 志波城の歴史 政庁と官衙
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運営者:盛岡市
最終確認日:2026年9月18日
- 志波城の歴史 文献にみえる志波城
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運営者:盛岡市
最終確認日:2026年9月18日
- 志波城の歴史 概要
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運営者:盛岡市
最終確認日:2026年9月18日
- 画像:掬茶
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最終確認日:2026年9月18日