CASTLE / HISTORIC SITE

津山城

津山城は、岡山県津山市の鶴山に森忠政が築いた近世平山城です。本丸・二の丸・三の丸を重ねるように配置した壮大な石垣が残り、本丸には備中櫓が復原されています。城跡は国指定史跡です。

津山城の模擬天守

INFORMATION

基本情報

種別
城
名城選定
日本100名城
推定築城年代
慶長9(1604)年に築城を開始し、元和2(1616)年に完成。約13年をかけて築かれた。
築城者
森忠政
現況
城跡。鶴山公園として公開され、本丸・二の丸・三の丸の曲輪、天守台をはじめとする大規模な石垣、虎口や門跡などが残る。本丸には備中櫓が復原されている。

STORY

城の歩み

主な城主
森忠政をはじめとする森氏4代、松平長矩(のち宣富)をはじめとする越前松平氏9代
城の姿を変えた主な改修
森忠政が慶長9(1604)年から元和2(1616)年まで約13年をかけて本丸・二の丸・三の丸、天守、櫓、門などを整備した。近現代には史跡保存整備が進められ、築城400年に合わせて備中櫓が史料や発掘成果に基づき復原整備されたほか、石垣や虎口の保存修理も行われている。
廃城・役目を終えた時期
明治6(1873)年の廃城令後、明治7(1874)年から翌明治8(1875)年にかけて天守・御殿・櫓・門など城内の建造物が撤去された。

HISTORY

お城の歴史

津山城は、慶長8(1603)年に美作国へ入封した森忠政が、翌慶長9(1604)年から鶴山に築き始めた城です。築城には13年を要し、元和2(1616)年に完成しました。本丸を最高所に置き、その周囲を二の丸・三の丸が取り囲む一二三段の構成で、五層の天守や多数の櫓・門を備えていました。森氏は4代にわたり城主を務め、元禄11(1698)年からは越前松平家が入り、9代にわたり明治維新まで津山藩を治めました。明治6(1873)年の廃城令後、天守・御殿・櫓・門などは明治7~8(1874~1875)年にかけて撤去されました。その後、城跡は明治33(1900)年に鶴山公園となり、昭和38(1963)年に国史跡に指定され、現在は石垣や曲輪を保存しながら整備が進められています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
本丸・二の丸・三の丸などの曲輪、天守台を含む大規模な石垣、虎口、石段、門や櫓の礎石などが残る。石垣は築城期間中の技術の変化を伝える重要な遺構となっている。
建物はいつのもの?
江戸時代の城郭建造物は城内に現存しない。天守・御殿・櫓・門などは明治期に撤去された。現在の備中櫓は、絵図・古写真・発掘調査などをもとに当時の材料や技術を用いて平成16(2004)年に復原整備され、平成17(2005)年から一般公開されている。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「津山城跡」。昭和38(1963)年9月28日指定。

SOURCES

出典元

国指定文化財等データベース「津山城跡」

運営者:文化庁

最終確認日:2026年9月18日

日本100名城®一覧

運営者:公益財団法人日本城郭協会

最終確認日:2026年9月18日

歴史的町なみ残る津山城下町

運営者:津山市

最終確認日:2026年9月18日

津山城の歴史と魅力

運営者:津山まちじゅう博物館コンソーシアム

最終確認日:2026年9月18日

見どころ

運営者:津山郷土博物館

最終確認日:2026年9月18日

解説津山城

運営者:津山まちじゅう博物館コンソーシアム

最終確認日:2026年9月18日

画像:Hitoxu.Chiki(Kajiro)

出典画像 / CC BY-SA 3.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

最終確認日:2026年9月18日

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