CASTLE / HISTORIC SITE
松前城
北海道松前郡松前町の松前城は、江戸幕府が外国船への海防を目的として築城を命じ、安政元年(1854年)に完成した福山城を中心とする城です。松前氏の旧福山館を拡張して築かれ、箱館戦争、明治期の建物撤去、昭和24年(1949年)の天守焼失を経験しました。現在は江戸末期の本丸御門が現存し、昭和35年(1960年)再建の天守が松前城資料館として城下町の歴史を伝えています。
INFORMATION
基本情報
- 所在地
- 北海道松前町
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 嘉永3年(1850年)着工、安政元年(1854年)完成。前身の福山館は慶長11年(1606年)完成。
- 築城者
- 松前崇広。幕府の築城命令を受け、高崎藩の兵学者・市川一学が設計。前身の福山館は松前慶広が築きました。
- 現況
- 江戸末期の本丸御門が現存。天守は昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリート造で復興されています。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 松前慶広以後の松前氏。幕末の新城築城時は松前崇広。
- 城の姿を変えた主な改修
- 嘉永2年(1849年)の幕府命令を受け、旧福山館を拡張して嘉永3年(1850年)から築城。安政元年(1854年)に海防を意識した福山城が完成しました。昭和35年(1960年)には焼失した天守が鉄筋コンクリート造で復興されています。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治8年(1875年)までに開拓使の命令で城内建物の大半が撤去され、城としての役割を終えました。
HISTORY
お城の歴史
- 本文
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松前城の歴史は、松前慶広が慶長5年(1600年)に築城へ着手し、慶長11年(1606年)に完成させた福山館にさかのぼります。松前氏が梁川へ移され、蝦夷地が幕府直轄となった文化4年(1807年)から文政4年(1821年)までを除き、福山は松前氏の政治拠点として使われました。
江戸時代後期、蝦夷地近海に外国船が現れるようになると、幕府は北方警備を重視します。嘉永2年(1849年)、17代藩主・松前崇広は幕府から築城を命じられました。高崎藩の兵学者・市川一学が設計を担い、嘉永3年(1850年)に着工。旧福山館を拡張する形で工事が進み、安政元年(1854年)に本丸・二ノ丸・三ノ丸、櫓、城門、砲台を備えた福山城が完成しました。幕末に築かれた、日本の伝統的な城郭の最終期を示す城です。
慶応4年(1868年)からの箱館戦争では、土方歳三ら旧幕府軍の攻撃を受けて福山城は落城しました。本丸御門周辺の石垣には戦闘を伝える痕跡も残り、松前城は江戸幕府の終焉と北海道の近代への転換を物語る場所にもなっています。
明治8年(1875年)までに開拓使の命令で城内建物の多くが取り壊されましたが、三層の木造天守、本丸御門、東塀は残されました。これらは昭和16年(1941年)に旧国宝保存法による国宝に指定されます。しかし昭和24年(1949年)、松前町役場からの飛び火で天守と東塀が焼失し、江戸末期の城郭建築として残ったのは本丸御門だけとなりました。
本丸御門は昭和25年(1950年)に重要文化財となり、現在も当時の位置に残っています。天守は昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリート造で復興され、松前城資料館として利用されています。城跡は「松前氏城跡」の一部として国の史跡に指定されており、現存門、石垣、復興天守を見比べることで、福山館から幕末の海防城郭、近代以降の保存と復興までを一つの場所でたどることができます。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 江戸末期の本丸御門、石垣などの城郭遺構。城内には昭和35年(1960年)再建の復興天守があり、松前城資料館として利用されています。
- 建物はいつのもの?
- 本丸御門は嘉永6年(1853年)造営とされる現存建造物です。木造天守と東塀は昭和24年(1949年)に焼失し、現在の天守は昭和35年(1960年)の復興建築です。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 「松前氏城跡 福山城跡・館城跡」は国指定史跡。本丸御門は国指定重要文化財。旧松前城本丸表御殿玄関は北海道指定有形文化財です。
SOURCES
出典元
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福山城(松前城)本丸御門
松前町教育委員会
最終確認日:2026年8月9日
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歴史・文化|松前町の魅力
松前町公式観光サイト
最終確認日:2026年8月9日
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日本100名城®一覧
公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年8月9日
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画像:Fg2
/
Wikimedia Commons
/
Public Domain
/ 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年8月9日