CASTLE / HISTORIC SITE
佐賀城
佐賀城は、佐賀市中心部に龍造寺氏の村中城を拡張して築かれた近世平城です。鍋島氏の居城として佐賀藩政の中心となり、現在は鯱の門や天守台、堀、石垣、本丸御殿の一部などが残ります。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 名城選定
- 日本100名城
- 推定築城年代
- 慶長13(1608)年に佐賀城総普請を開始し、慶長16(1611)年に完成。龍造寺氏の村中城を拡張・整備して築かれた。
- 築城者
- 鍋島直茂・鍋島勝茂父子
- 現況
- 城跡。佐賀城公園として整備され、本丸跡には佐賀城本丸歴史館が建つ。鯱の門及び続櫓、天守台、石垣、土塁、広い堀などが残り、本丸御殿の一部が復元されている。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 鍋島勝茂、鍋島吉茂、鍋島直正をはじめとする鍋島氏
- 城の姿を変えた主な改修
- 慶長13~16(1608~1611)年に鍋島直茂・勝茂父子が村中城を拡張して近世城郭を整備した。享保11(1726)年の大火後は二の丸を再建し、享保13(1728)年に完成。天保6(1835)年の二の丸火災後は鍋島直正が本丸再建を進め、天保9(1838)年に本丸御殿を完成させた。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治4(1871)年の廃藩置県によって佐賀藩の城としての役割を終え、城内には佐賀県庁が置かれた。その後も本丸建物は官公庁や学校などに利用された。
HISTORY
お城の歴史
佐賀城は、龍造寺氏の居城だった村中城をもとに、鍋島直茂・勝茂父子が慶長13(1608)年から総普請を行い、慶長16(1611)年に完成させました。以後、鍋島氏の居城として約260年間にわたり佐賀藩政の中心となりました。享保11(1726)年の大火では天守を含む本丸・二の丸などが焼失し、翌年から二の丸を再建して藩政の中心を移しました。さらに天保6(1835)年の火災で二の丸が焼失すると、10代藩主鍋島直正が本丸御殿を再建し、天保9(1838)年に完成しました。明治4(1871)年の廃藩置県後は県庁などに利用され、明治7(1874)年の佐賀の乱では戦場となりました。現在は本丸跡に佐賀城本丸歴史館が建ち、復元された御殿と現存建造物、石垣や堀などが城の歴史を伝えています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 天守台、石垣、土塁、城を囲む堀などが残る。建造物では天保9(1838)年に完成した鯱の門及び続櫓が現存するほか、旧本丸御殿の御座間・堪忍所も部材を残して移築・復元されている。
- 建物はいつのもの?
- 鯱の門及び続櫓は天保9(1838)年の本丸再建時に建てられた現存建造物。旧本丸御殿の御座間・堪忍所も同年の建物で、一度移築された後、本丸跡の本来の位置へ移築・復元され、現在の佐賀城本丸歴史館に組み込まれている。歴史館のその他の本丸御殿部分は、発掘調査、絵図、古写真などをもとに復元され、平成16(2004)年に開館した。天守は享保11(1726)年の火災後に再建されず、現在は天守台のみが残る。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 佐賀県指定史跡「佐賀城跡」(平成13(2001)年指定)。「佐賀城鯱の門及び続櫓」は昭和32(1957)年6月18日指定の国重要文化財。「旧佐賀城本丸御殿 御座間及び堪忍所」は令和5(2023)年4月25日指定の佐賀県重要文化財。
SOURCES
出典元
- 佐賀城の歴史
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運営者:佐賀県立佐賀城本丸歴史館
最終確認日:2026年9月19日
- 佐賀城本丸御殿の復元
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運営者:佐賀県立佐賀城本丸歴史館
最終確認日:2026年9月19日
- 全景図
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運営者:佐賀県立佐賀城本丸歴史館
最終確認日:2026年9月19日
- 国指定文化財等データベース「佐賀城鯱の門及び続櫓」
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月19日
- 国指定(建造物の部)01
-
運営者:佐賀県
最終確認日:2026年9月19日
- 市に所在する文化財リスト
-
運営者:佐賀県
最終確認日:2026年9月19日
- 日本100名城®一覧
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運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月19日
- 県指定(建造物の部)04
-
運営者:佐賀県
最終確認日:2026年9月19日
- 画像:上条ジョー
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出典画像 / CC BY-SA 3.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年9月19日