CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

金山城

群馬県太田市の金山城は、文明元年(1469年)に岩松家純が築いたと考えられる山城です。岩松氏から横瀬・由良氏、小田原北条氏へと受け継がれ、1590年の廃城まで約120年間使われました。山中には石垣、堀切、土塁などが残り、石を多用した関東の戦国山城の姿を歩いて確かめられます。

群馬県太田市の金山城。大手虎口の石垣と石敷き

INFORMATION

基本情報

所在地
群馬県太田市
種別
推定築城年代
文明元年(1469年)、岩松家純の命により築造されたことに始まったと考えられ、天正18年(1590年)まで約120年間使われました。
築城者
岩松家純。
現況
国指定史跡。山頂部を中心に石垣、堀切、土塁などの遺構が残り、戦国時代後半の姿を意識した史跡整備が行われています。

STORY

城の歩み

主な城主
岩松氏、横瀬氏(のち由良氏)、小田原北条氏。
城の姿を変えた主な改修
約120年間にわたる使用の中で改修が重ねられました。現在は発掘調査成果をもとに、大手虎口、石垣、石敷き、通路、池などの遺構表示・復元整備が行われています。
廃城・役目を終えた時期
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が敗れたことに伴い廃城となりました。

HISTORY

お城の歴史

本文
金山城は、太田市中心部の北にそびえる標高239メートルの金山に築かれた山城です。太田市の公式説明では、その歴史は文明元年(1469年)、新田氏の後裔にあたる岩松家純の命で築造されたことに始まったと考えられています。山頂部の実城を中心に、北城、西城、八王子山ノ砦などを尾根上へ配置し、山全体を利用した防御拠点となりました。

城主は岩松氏から横瀬氏へ移り、横瀬氏はのちに由良氏と改姓します。その後、金山城は小田原北条氏の支配下に入りました。城は約120年間にわたって使われ、その間、石垣、堀切、土塁などを組み合わせながら改修が重ねられます。太田市は、この期間に金山城が落城しなかったと案内しており、堅固な山城だったことがうかがえます。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が敗れると金山城も廃城となりました。

昭和9年(1934年)に国の史跡となり、のちの追加指定で史跡範囲は97.8ヘクタールに広がっています。現在は戦国時代後半の姿を意識した史跡整備が行われ、大手虎口周辺の石垣や石敷き、日ノ池・月ノ池などを見ながら山城の構造をたどれます。建物の復元よりも、山の地形と石・土の遺構そのものを読むことが金山城の面白さです。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
石垣、堀切、土塁、曲輪、石敷き通路など。日ノ池・月ノ池など城内の水に関わる遺構も残ります。
建物はいつのもの?
戦国期の城郭建造物は現存しません。現在の見どころは石垣・堀切・土塁などの遺構と、発掘成果に基づく史跡整備が中心です。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「金山城跡」。追加指定後の史跡面積は97.8ヘクタール。

SOURCES

出典元

  • 金山城跡の概要

    太田市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 金山城跡の概要と関連する指定文化財一覧

    太田市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月9日

  • 画像:AkaneM / Wikimedia Commons / CC BY 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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