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日本100名城

上田城

長野県上田市の上田城は、天正11年(1583年)に真田昌幸が築城に着手した平城です。二度の上田合戦を経て関ヶ原の戦い後に破却され、寛永3年(1626年)から仙石忠政が復興。現在は国指定史跡で、現存する西櫓、移築復元された南櫓・北櫓、復元された東虎口櫓門を見ることができます。

長野県上田市の上田城。城内へ再移築された南櫓

INFORMATION

基本情報

所在地
長野県上田市
種別
推定築城年代
天正11年(1583年)に真田昌幸が築城に着手。慶長6年(1601年)に破却され、寛永3年(1626年)から仙石忠政が復興。明治期に払い下げ。
築城者
真田昌幸。江戸初期の復興は仙石忠政。
現況
国指定史跡。堀・土塁・石垣が残り、西櫓が現存。南櫓・北櫓は城外移築後に城内へ再移築され、東虎口櫓門は1994年に復元されています。

STORY

城の歩み

主な城主
真田氏、仙石氏、松平(藤井)氏。
城の姿を変えた主な改修
寛永3年(1626年)に仙石忠政が復興を開始しましたが、1628年の死去で工事は中断。1949年に南櫓・北櫓を城内へ再移築し、1994年に東虎口櫓門を復元。
廃城・役目を終えた時期
慶長6年(1601年)に徳川方により破却・廃城となり、その後仙石氏が復興。明治7年(1874年)から払い下げが進み、西櫓を除く多くの建物が失われました。

HISTORY

お城の歴史

本文
上田城は、天正11年(1583年)に真田昌幸が築城に着手した平城です。天正13年(1585年)の第一次上田合戦と慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では徳川軍の攻撃を退けましたが、関ヶ原の戦い後に堀や石垣、建物などが破却されました。

その後、真田信之を経て上田藩主となった仙石忠政が、幕府の許可を受けて寛永3年(1626年)から城の復興に着手します。堀を掘り直し、石垣を積み、本丸に櫓や塀を再建しましたが、忠政が寛永5年(1628年)に没したため復興工事は中断し、未完成のまま江戸時代を過ごしました。

明治7年(1874年)から城内の払い下げが進み、西櫓を除く多くの建物が解体されました。南櫓と北櫓は城外へ移築された後、市民の寄附などにより買い戻され、昭和24年(1949年)に城内へ再移築されています。

西櫓・南櫓・北櫓は昭和34年(1959年)に長野県宝に指定され、平成6年(1994年)には古写真や発掘調査の成果をもとに東虎口櫓門が復元されました。現在は国指定史跡として、堀・土塁・石垣と三つの櫓を中心に保存・整備が続けられています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
堀、土塁、石垣、曲輪など。西櫓は江戸期から現存しています。
建物はいつのもの?
西櫓は現存建造物。南櫓・北櫓は江戸期の櫓を城外へ移築後、1949年に城内へ再移築。東虎口櫓門は古写真・発掘成果をもとに1994年復元。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「上田城跡」。西櫓・南櫓・北櫓は長野県宝。

SOURCES

出典元

  • 上田城の歴史

    上田市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 上田城のみどころ

    上田市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月9日

  • 画像:Suikotei / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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