CASTLE / HISTORIC SITE
七戸城跡
七戸城跡は、青森県上北郡七戸町に残る中世城館跡です。七戸南部氏の居城として室町時代から戦国時代に使われ、本城や北館などの曲輪、空堀、土塁、虎口などが残る国指定史跡です。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 築城年代は不明。南部政長が建武2年(1335)に七戸を所領として築城したとする伝承がある一方、発掘調査の成果などから、南部政光が元中9年(1392)に七戸へ入部して築城した可能性が考えられている。
- 築城者
- 南部政長の築城とする伝承がある。一方、七戸町では発掘調査の成果などから、根城南部家8代当主の南部政光が元中9年(1392)の七戸入部後に築城した可能性を示している。
- 現況
- 国指定史跡として保存・公開されている城跡。中世の城郭建造物は現地に残っていないが、多数の曲輪、堀切、空堀、土塁、虎口などが残り、北館を中心に発掘調査と史跡整備が行われている。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 南部政光、七戸南部氏。戦国期の城主として七戸家国が知られる。廃城後は南部直勝、七戸直時、南部重信ら南部氏一族が在城した。
- 城の姿を変えた主な改修
- 南部政光は七戸入部後、七戸城と周辺寺院、城下の整備を進めたとされる。発掘調査では、戦国時代後半の北館に御主殿、常御殿、奥御殿、宝物殿などの施設が置かれていたことが確認され、この時期には北館が城の中心部となっていた。
- 廃城・役目を終えた時期
- 天正19年(1591)の九戸一揆で城主七戸家国が九戸方に加わって敗れ、七戸南部家が断絶すると七戸城も廃城となった。翌天正20年(1592)には城が破却された。その後も南部氏一族の居所として使われ、寛文4年(1664)から盛岡藩の代官所、明治2年(1869)から七戸藩の藩庁が置かれた。
HISTORY
お城の歴史
七戸城の築城年代は明らかではなく、建武2年(1335)に七戸を所領とした南部政長の築城とする伝承がある一方、発掘調査の成果などから、根城南部家の南部政光が元中9年(1392)に七戸へ入部して築城した可能性が考えられています。政光の子孫は七戸を拠点に七戸南部氏を名乗り、城は北方への備えを担う重要な拠点となりました。戦国時代後半には北館に御主殿や常御殿、奥御殿などが置かれ、城の中心部を形成していました。天正19年(1591)の九戸一揆で城主七戸家国が敗れ、七戸南部家は断絶して城も廃城となり、翌年には城が破却されました。その後も南部氏一族が在城し、寛文4年(1664)からは盛岡藩の代官所、明治2年(1869)には七戸藩の藩庁が置かれました。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 本城、下館、宝泉館、西館、角館、北館、貝ノ口、西外郭、北西外郭、南外郭の10曲輪をはじめ、堀切、空堀、土塁、腰郭、虎口などが残る。北館の発掘調査では150棟以上の掘立柱建物跡、50棟以上の竪穴建物跡、井戸跡、塀跡などが確認されている。
- 建物はいつのもの?
- 中世七戸城の城郭建造物は現地には現存していない。城跡入口の「七戸城東門」は2008年に地域の歴史・文化を伝える施設として後世に建設された門で、当時の建物そのものではない。旧七戸城本丸の城門と伝わる建物は明治6年(1873)に青岩寺へ移築され、現在は山門として残り、七戸町指定有形文化財となっている。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「七戸城跡」。昭和16年(1941)12月13日に指定され、平成元年(1989)8月14日と平成12年(2000)12月13日に追加指定された。現在の史跡指定面積は約16万6千平方メートル。
SOURCES
出典元
- 七戸城跡
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運営者:青森県
最終確認日:2026年9月18日
- 史跡七戸城跡
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運営者:七戸町
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース 七戸城跡
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 画像:小池 隆
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出典画像 / Creative Commons Attribution 3.0 Unported (CC BY 3.0) / 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年9月18日