CASTLE / HISTORIC SITE
鳥越城
鳥越城は、石川県白山市の標高約312メートルの丘陵に築かれた中世山城です。白山麓の一向一揆勢が織田方に抵抗した拠点で、本丸や二の丸などの曲輪、空堀、石垣が残る国指定史跡です。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 築城年代の詳細は不明。白山麓の本願寺門徒によって築城・整備されたと考えられ、遅くとも天正8(1580)年以前には城として機能していた。
- 築城者
- 白山麓の本願寺門徒が築城・整備したと考えられる。城主は鈴木出羽守で、一向一揆勢を率いた。
- 現況
- 城跡。標高約312メートルの丘陵上に本丸、二の丸、三の丸、後二の丸、後三の丸などの曲輪が残り、発掘成果に基づいて門・土塁・空堀・柵列などの一部が復元整備されている。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 鈴木出羽守を中心とする白山麓の一向一揆勢
- 城の姿を変えた主な改修
- 中世の具体的な大改修年代は明らかではない。昭和52(1977)年以降の発掘調査で城郭構造が確認され、平成9~12(1997~2000)年には発掘成果をもとに本丸門、桝形門、中の丸門、土塁、空堀、柵列などが復元整備された。
- 廃城・役目を終えた時期
- 天正8(1580)年に織田方の攻撃で落城。翌年に一揆勢が奪回したものの再び鎮圧され、天正10(1582)年3月までに白山麓の一向一揆勢が掃討され、城としての役割を終えた。
HISTORY
お城の歴史
鳥越城は、白山麓の本願寺門徒が織田信長との戦いが激しくなるなかで築城・整備したと考えられる山城です。城主の鈴木出羽守に率いられた山内衆の拠点となり、天正8(1580)年には柴田勝家ら織田方の攻撃を受けて落城しました。翌天正9(1581)年には一揆勢が二曲城とともに奪回しましたが、佐久間盛政らによって再び鎮圧され、天正10(1582)年3月までに白山麓の抵抗は終息しました。城跡には本丸、二の丸、三の丸、後二の丸、後三の丸などが残り、昭和52(1977)年以降の発掘調査で建物跡や石垣、門跡などが確認されました。現在は発掘成果に基づいて門や土塁などが復元整備されています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 本丸、二の丸、三の丸、後二の丸、後三の丸などの曲輪、腰曲輪、空堀、土塁、石垣、門跡などが残る。発掘調査では本丸・二の丸から礎石建物跡や掘立柱建物跡が確認され、桝形門や腰曲輪でも石垣が検出されている。
- 建物はいつのもの?
- 中世の城郭建造物は現存しない。現在見られる本丸門、桝形門、中の丸門などは、発掘調査で確認された遺構をもとに平成9~12(1997~2000)年に復元整備されたもの。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「鳥越城跡 附 二曲城跡」。昭和60(1985)年9月3日指定。
SOURCES
出典元
- 七尾城跡・鳥越城跡附二曲城跡
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運営者:石川県
最終確認日:2026年9月19日
- 史跡鳥越城跡附二曲城跡
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運営者:白山市
最終確認日:2026年9月19日
- 国指定文化財等データベース「鳥越城跡 附 二曲城跡」
-
運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月19日
- 日本100名城®・続日本100名城® 地図から探す
-
運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月19日
- 鳥越城跡 附二曲城跡
-
運営者:白山市
最終確認日:2026年9月19日
- 画像:Satoshin
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出典画像 / CC BY-SA 3.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年9月19日