CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

七尾城

石川県七尾市の七尾城は、築城時期は明確でないものの、16世紀前半に能登畠山氏が築いたと考えられる山城です。山上から山麓まで約252.6haの城域に多数の曲輪や石垣を残し、天正5年(1577年)の落城まで能登の政治・文化の拠点として機能しました。

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INFORMATION

基本情報

所在地
石川県七尾市
種別
推定築城年代
築城時期は明確ではなく、16世紀前半に能登畠山氏が築いたと考えられます。天正5年(1577年)に落城し、1580年代に城としての機能を失いました。
築城者
能登畠山氏。特定の築城者や単一年は確定しません。
現況
国指定史跡。南北約2.5km、東西約1.0km、約252.6haの山城域に曲輪・石垣などが残ります。

STORY

城の歩み

主な城主
能登畠山氏、上杉方、前田利家。
城の姿を変えた主な改修
16世紀前半以降、山上から山麓にわたる多数の曲輪と城下を一体化した大規模な拠点として整備されました。
廃城・役目を終えた時期
天正5年(1577年)の落城後に上杉方、前田利家が入り、天正10〜17年(1582〜1589年)頃の小丸山での新たな築城に伴い城としての機能を失いました。

HISTORY

お城の歴史

本文
七尾城は、能登国守護の能登畠山氏が築いた山城です。築城時期は明確ではありませんが、七尾市は、各地の有力大名が拠点を山城へ移した16世紀前半頃には七尾城が築かれ、支配体制の中心になったと考えています。

城域は石動山系の山上から山麓に広がり、南北約2.5km、東西約1.0km、面積約252.6haに及び、七つの尾根筋を中心に多数の曲輪が設けられました。山麓には城下町が形成され、七尾城は能登の政治だけでなく文化の拠点としても機能しました。

天正5年(1577年)、上杉謙信の攻撃によって落城し、能登畠山氏の領国支配は終わります。その後は一時上杉方が入り、天正9年(1581年)には織田信長から能登を与えられた前田利家が入城しました。

天正10年(1582年)から17年(1589年)頃に港に近い小丸山で新たな築城が進むと、七尾城は城としての機能を失っていきました。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定され、現在は曲輪や石垣などの遺構から大規模山城の構造をたどることができます。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
曲輪、石垣、城台、登城路など。山上から山麓まで広い範囲に城郭遺構が残ります。
建物はいつのもの?
中世の城郭建造物は現存しません。現在確認できる主な価値は曲輪・石垣等の城郭遺構です。一時的な通行規制等は耐久的な城郭事実には含めません。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「七尾城跡」。昭和9年(1934年)12月28日指定、平成23年(2011年)追加指定。

SOURCES

出典元

  • 史跡七尾城跡

    七尾市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 国指定文化財等データベース 七尾城跡

    文化庁

    最終確認日:2026年8月9日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月9日

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