CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

松代城

長野県長野市の松代城は、永禄3年(1560年)頃に武田信玄が築いた海津城を起源とする平城です。江戸時代には真田氏の居城となり、明治5年(1872年)に廃城。現在は国指定史跡として石垣や土塁を残し、太鼓門・北不明門や内堀などが史料と発掘成果に基づいて復元・整備されています。

長野県長野市の松代城。復元された太鼓門

INFORMATION

基本情報

所在地
長野県長野市
種別
推定築城年代
永禄3年(1560年)頃に海津城として築かれ、元和8年(1622年)から真田氏の居城となりました。明治5年(1872年)に廃城。
築城者
武田信玄とされています。
現況
国指定史跡。石垣・土塁などの遺構を残し、太鼓門・北不明門、内堀などが史料・発掘調査に基づき復元・整備されています。

STORY

城の歩み

主な城主
武田氏、織田氏、上杉氏、田丸氏、森氏、松平氏、酒井氏、真田氏など。
城の姿を変えた主な改修
江戸期に洪水・火災後の修復・再建を重ねました。平成7〜16年度(1995〜2004年度)の第1期整備では太鼓門・北不明門を復元し、石垣修復や土塁・堀整備を実施。
廃城・役目を終えた時期
明治5年(1872年)に廃城となり、土地・建物の払い下げや取り壊しにより城郭建造物の多くが失われました。

HISTORY

お城の歴史

本文
松代城は、戦国時代に北信濃の拠点として築かれた平城で、永禄3年(1560年)頃に武田信玄が築いた「海津城」を起源とすると考えられています。武田氏の後は城主が移り、慶長5年(1600年)に森忠政の時代に「待城」、松平忠輝の時代には「松城」と呼ばれました。

元和8年(1622年)に真田信之が上田から入封すると真田氏の居城となり、のちに幕命で「松代城」の名が定着しました。千曲川に近い城は洪水の被害をたびたび受け、火災による建物の焼失と再建も繰り返しています。

享保2年(1717年)の大火では城内の建物が全焼し、その後に再建された姿が幕末まで続きました。明治5年(1872年)の廃城後は土地や建物が払い下げられ、城郭建造物の多くが失われました。

昭和56年(1981年)には本丸を中心とする旧城郭域と新御殿跡が国の史跡に指定され、平成27年(2015年)には二の丸南東部などが追加指定されています。現在は石垣や土塁などの遺構を保存しながら、江戸時代の絵図や発掘調査を根拠として太鼓門・北不明門、内堀などを復元・整備しています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
石垣、土塁、曲輪、堀跡など。新御殿(真田邸)など一部の建物が城域周辺に残ります。
建物はいつのもの?
城郭建造物の多くは廃城後に失われました。太鼓門・北不明門は現代の復元。二の丸南門は建物の一部表示と石垣修復であり、門全体の復元ではありません。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「松代城跡 附 新御殿跡」。昭和56年(1981年)指定、平成27年(2015年)追加指定。

SOURCES

出典元

  • 松代城の歴史

    長野市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 松代城跡第1期整備

    長野市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月9日

  • 画像:baku13 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.1 jp / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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