CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

高知城

高知県高知市の大高坂山に築かれた高知城は、山内一豊が1601年に築城を始めた平山城です。1727年の大火後に再建された天守や本丸御殿などが江戸時代から残り、天守を含む本丸の建物群がすべて現存するのは高知城だけと公式に案内されています。現在の天守は1749年に完成した建物です。

高知城

INFORMATION

基本情報

所在地
高知県高知市
種別
推定築城年代
慶長6年(1601年)に山内一豊が築城を開始し、慶長16年(1611年)までにほぼ全城郭が完成。現在の天守は寛延2年(1749年)の再建。
築城者
山内一豊
現況
現存建造物あり

STORY

城の歩み

主な城主
山内氏(土佐藩主家)
城の姿を変えた主な改修
享保12年(1727年)の大火で追手門を残して建物のほとんどを焼失。享保14年(1729年)から再建が進み、寛延2年(1749年)に現在の天守が完成、宝暦3年(1753年)までにほぼすべての建物が整った。
廃城・役目を終えた時期
明治期の廃城に伴い、本丸周辺の建造物と追手門を残して多くの建物が撤去された。明治7年(1874年)に高知公園として一般開放された。

HISTORY

お城の歴史

本文
高知城のある大高坂山には、中世から城が置かれ、戦国期には長宗我部元親もこの地を利用しました。関ヶ原の戦い後に土佐一国を与えられた山内一豊は、1601年に新たな城の築城を開始し、1611年までにほぼ全城郭を完成させます。

ところが1727年、城下町の大火が城に及び、追手門を残して天守をはじめ建物のほとんどを焼失しました。その後、土佐藩は再建を進め、1749年に現在の天守が完成し、1753年には三ノ丸まで整って城郭が再び形を取り戻しました。

明治期には廃城に伴って多くの建物が撤去されましたが、天守、本丸御殿、追手門などは残され、1874年には高知公園として一般に開放されます。現存建造物15棟は現在、国の重要文化財に指定されています。

高知城では、創建時の建物ではなく大火後の江戸時代に再建された天守を見ながら、本丸の建物群がまとまって残った希少な城郭景観を体感できます。特に本丸では、天守だけでなく藩主の居館であった懐徳館や門・多聞などが一体となって残り、江戸時代の本丸空間をまとまって見ることができます。

追手門と天守を同時に視界へ収められる景観も、現存建造物が複数残った高知城ならではの特徴です。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
天守、懐徳館(本丸御殿)、納戸蔵、黒鉄門、西多聞、東多聞、詰門、廊下門、追手門、矢狭間塀、石垣、堀、曲輪など。
建物はいつのもの?
現存。現在の天守は1749年に再建された江戸時代の建物。天守・懐徳館・追手門など15棟が国指定重要文化財で、本丸の建物群がすべて現存するのは高知城だけと公式に案内されている。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「高知城跡」。天守、懐徳館、追手門など現存建造物15棟が国指定重要文化財。

SOURCES

出典元

  • 高知城 公式ホームページ

    高知城管理事務所

    最終確認日:2026年8月8日

  • 高知城の歴史

    高知城管理事務所

    最終確認日:2026年8月8日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月8日

  • 画像:ノボホショコロトソ / Wikimedia Commons / CC BY 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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