CASTLE / HISTORIC SITE
広島城
広島城は、広島市中心部の太田川デルタに毛利輝元が築いた近世平城です。毛利氏、福島氏、浅野氏の居城を経て、現在は本丸や二の丸、石垣、堀が残る国指定史跡で、二の丸には門や櫓が木造復元されています。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 名城選定
- 日本100名城
- 推定築城年代
- 天正17(1589)年に毛利輝元が築城を開始し、天正19(1591)年に入城した。天守も毛利氏によって築かれ、関ヶ原の戦い以前には成立していた。
- 築城者
- 毛利輝元
- 現況
- 城跡。国指定史跡として本丸・二の丸、石垣、堀などが保存され、二の丸には表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が木造復元されている。昭和33(1958)年再建の鉄筋コンクリート造天守は令和8(2026)年3月22日に閉館した。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 毛利輝元、福島正則、浅野長晟をはじめとする浅野氏
- 城の姿を変えた主な改修
- 毛利輝元が天正17(1589)年から城郭と城下町を築き、福島正則は入城後に城の改修と城下町の拡張・整備を進めた。戦後は昭和33(1958)年に天守を鉄筋コンクリート造で外観復元し、平成元(1989)年から平成6(1994)年にかけて二の丸の表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓を木造復元した。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治4(1871)年の廃藩置県により浅野氏の藩城としての役割を終えた。その後は兵部省・陸軍省の管轄となり、明治6(1873)年の廃城令では軍用財産として残す「存城」とされ、広島鎮台や第五師団などの軍事施設として利用された。
HISTORY
お城の歴史
広島城は天正17(1589)年、毛利輝元が太田川デルタで築城を始め、天正19(1591)年に入城しました。関ヶ原の戦い後の慶長6(1601)年には福島正則が入城し、城や城下町の整備を進めましたが、元和5(1619)年に改易され、以後は浅野氏が明治初期まで居城としました。明治4(1871)年の廃藩置県後は軍用地となり、江戸時代の建物は火災や撤去で次第に失われました。毛利期以来の大天守は昭和6(1931)年に旧国宝となりましたが、昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾で倒壊しました。昭和33(1958)年には外観を模した鉄筋コンクリート造天守が再建され、二の丸の門・櫓群も平成元(1989)年から平成6(1994)年にかけて木造復元されています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 本丸・二の丸などの曲輪、天守台を含む石垣、内堀、門跡や櫓跡などが残る。本丸には広島大本営跡の建物基礎など近代の遺構も残されている。
- 建物はいつのもの?
- 江戸時代からの城郭建造物は現存しない。毛利期以来の大天守や被爆時まで残っていた門・櫓は昭和20(1945)年の原子爆弾で倒壊・焼失した。現在の天守は昭和33(1958)年に倒壊前の外観を模して鉄筋コンクリート造で再建されたもので、令和8(2026)年3月22日に内部公開を終了した。二の丸の表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓は平成元(1989)年から平成6(1994)年にかけて木造復元された。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「広島城跡」。昭和28(1953)年3月31日指定。
SOURCES
出典元
- 史跡広島城跡保存活用計画
-
運営者:広島市
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース「広島城跡」
-
運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 広島の歴史
-
運営者:広島市
最終確認日:2026年9月18日
- 広島城天守の復元等に関する調査・検討について(令和5年度~令和7年度)
-
運営者:広島市
最終確認日:2026年9月18日
- 広島城天守は、令和8年3月22日をもって閉城しました。
-
運営者:広島市
最終確認日:2026年9月18日
- 日本100名城®一覧
-
運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月18日