CASTLE / HISTORIC SITE

胆沢城跡

胆沢城跡は、岩手県奥州市に残る平安時代の城柵跡です。延暦21(802)年に坂上田村麻呂が造営し、のちに鎮守府が置かれました。政庁や官衙を備えた古代東北の政治・軍事拠点で、国の史跡に指定されています。

胆沢城跡を政庁前門から望む全景

INFORMATION

基本情報

種別
城
推定築城年代
延暦21(802)年に造営。
築城者
坂上田村麻呂
現況
古代城柵の遺跡。城域は一辺約670メートルの方形で、政庁・官衙などの遺構が地下に残る。外郭南門地区は胆沢城跡歴史公園として整備されている。

STORY

城の歩み

主な城主
中世・近世城郭のような城主を置く施設ではなく、鎮守府として官人や兵士が勤務した。
城の姿を変えた主な改修
大同3(808)年までに多賀城から鎮守府が移され、政庁や官衙を備える東北北部の軍政拠点として整備された。その後も建物の建て替えなどを重ねながら機能した。
廃城・役目を終えた時期
鎮守府胆沢城としては10世紀後半頃まで機能したと考えられている。その後、政治・軍事拠点としての役割を終えた。

HISTORY

お城の歴史

胆沢城は、蝦夷との戦いを経て律令国家の支配が北へ広がるなか、延暦21(802)年に坂上田村麻呂によって造営されました。大同3(808)年までには多賀城から軍政を担う鎮守府が移され、陸奥国北部を統治する政治・軍事の拠点となります。城域は一辺約670メートルの方形で、築地に囲まれた内部には儀式を行う政庁や、行政実務を担う官衙、食料を扱う厨などが配置されていました。発掘調査では木簡、文字を記した土器、漆紙文書、瓦などが見つかり、当時の役所や兵士の活動が明らかになっています。鎮守府としては10世紀後半頃まで機能したと考えられ、現在は外郭南門周辺が歴史公園として整備されています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
政庁、官衙、外郭南門、築地などの遺構が地下に残る。発掘調査では木簡、墨書土器、漆紙文書、瓦などの遺物も確認されている。
建物はいつのもの?
平安時代の建造物は現存しない。令和元(2019)年に開園した胆沢城跡歴史公園では、9世紀末から10世紀前葉の状況をもとに築地を立体的に再現し、外郭南門跡や櫓跡の柱位置を表示している。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「胆沢城跡」。大正11(1922)年10月12日指定。平成23(2011)年9月21日、平成27(2015)年3月10日に追加指定。

SOURCES

出典元

古代I(奈良時代~平安初期)

運営者:奥州市

最終確認日:2026年9月26日

国指定文化財等データベース「胆沢城跡」

運営者:文化庁

最終確認日:2026年9月26日

胆沢城跡

運営者:奥州市

最終確認日:2026年9月26日

胆沢城跡歴史公園

運営者:奥州市

最終確認日:2026年9月26日

画像:Saigen Jiro

出典画像 / CC0 1.0 Universal / 表示用にトリミング・リサイズしています

最終確認日:2026年9月26日

OUR CONCEPT

日本を散歩する、
街の辞書。

Townary JAPANは、日本全国47都道府県・市区町村の地域情報を起点に、道の駅、ご当地グルメ、歴史、文化、名所、交通、暮らしなど、街にまつわるさまざまな情報をつないでいく「日本を散歩する街の辞書」です。

有名な観光地だけを紹介するのではなく、地図を歩き、街から街へ情報をたどるうちに、これまで知らなかった場所や、少し気になる場所に出会えることを大切にしています。

旅をするときも、暮らす街を知りたいときも、目的を決めずに日本を眺めたいときも。Townary JAPANは、一つひとつの街の個性をつなぎながら、日本をもっと身近に、もっと面白く感じるための入口をつくっていきます。