CASTLE / HISTORIC SITE
名古屋城
愛知県名古屋市中区の名古屋城は、徳川家康が1610年に天下普請で築城を始め、尾張徳川家の居城となった平城です。1945年の空襲で天守や本丸御殿を失いましたが、江戸時代から残る隅櫓3棟と門3棟が重要文化財として現存します。本丸御殿は豊富な図面・古写真・障壁画などをもとに史実に忠実な復元が行われ、2018年に全体公開されました。
INFORMATION
基本情報
- 所在地
- 愛知県名古屋市中区
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 慶長15年(1610年)に築城を開始し、慶長17年(1612年)に大小天守が完成。慶長20年(1615年)に本丸御殿が完成。
- 築城者
- 徳川家康(天下普請)
- 現況
- 現存建造物・復元建造物・再建天守あり
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 尾張徳川家(初代徳川義直以降の歴代藩主)
- 城の姿を変えた主な改修
- 昭和20年(1945年)の空襲で天守・本丸御殿などを焼失。昭和34年(1959年)に大小天守を鉄骨鉄筋コンクリート造で再建。平成21年(2009年)〜平成30年(2018年)に第一級の史料をもとに本丸御殿を復元。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治4年(1871年)の廃藩置県後、陸軍省の管轄へ移り、のち宮内省を経て名古屋市へ下賜された。単一の廃城年月日としては扱わない。
HISTORY
お城の歴史
- 本文
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名古屋城は、徳川家康が尾張藩の拠点として1610年に築城を開始した城です。工事には加藤清正ら西国・北国の諸大名が動員される天下普請が行われ、1612年に大小天守が完成し、1615年には本丸御殿が完成しました。
その後は御三家筆頭の尾張徳川家の居城となり、城下の名古屋とともに発展します。1945年5月の空襲では、天守や本丸御殿など多くの主要建造物が焼失しましたが、西南・東南・西北の3隅櫓と、本丸表二之門、二之丸大手二之門、旧二之丸東二之門の3門は焼失を免れ、現在も重要文化財として残っています。
天守は1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されました。本丸御殿については、焼失前に残された実測図や古写真、戦火を免れた障壁画など第一級の史料をもとに、旧来の材料・工法を基本として史実に忠実な復元が進められ、2018年に全体公開されました。
名古屋城では、江戸時代から残る建物、戦後に再建された天守、現代に復元された御殿を同じ城内で見比べることができます。また、藩主が暮らした二之丸御殿に付属した二之丸庭園は、城内御殿の庭園として日本最大の規模と公式に案内され、現在も国の名勝として整備が続いています。
建物が残った場所、失われて復元された場所、庭園として残る場所を歩くことで、名古屋城の400年余りの変化が見えてきます。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、本丸表二之門、二之丸大手二之門、旧二之丸東二之門、石垣、堀、二之丸庭園など。
- 建物はいつのもの?
- 西南・東南・西北隅櫓と、本丸表二之門・二之丸大手二之門・旧二之丸東二之門の6棟が江戸時代から現存する重要文化財。本丸御殿は史料に基づき復元され2018年に全体公開。現天守閣は1959年再建で、現在は閉館中。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定特別史跡「名古屋城跡」。現存する隅櫓3棟と門3棟が国指定重要文化財。本丸御殿の現存障壁画1,049面のうち1,047面が重要文化財。二之丸庭園は国指定名勝。
SOURCES
出典元
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名古屋城の文化財一覧
名古屋市 名古屋城総合事務所
最終確認日:2026年8月8日
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本丸御殿の復元
名古屋市 名古屋城総合事務所
最終確認日:2026年8月8日
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日本100名城®一覧
公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年8月8日
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画像:Brücke-Osteuropa
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Wikimedia Commons
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CC0 1.0
/ 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年8月9日