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日本100名城

新発田城

新潟県新発田市の新発田城は、慶長3年(1598年)に溝口秀勝が築城を始め、三代宣直の承応3年(1654年)頃に主要部が整った平城です。江戸時代の表門と旧二の丸隅櫓が国重要文化財として現存し、平成16年(2004年)には三階櫓・辰巳櫓が復元。堀や石垣とともに城下町新発田の歴史を伝えます。

新潟県新発田市の新発田城。江戸時代から残る本丸表門

INFORMATION

基本情報

所在地
新潟県新発田市
種別
推定築城年代
慶長3年(1598年)に溝口秀勝が築城を開始し、二代宣勝・三代宣直へ引き継がれ、承応3年(1654年)頃に主要部が完成。明治維新後に多くの建物を失いました。
築城者
溝口秀勝が築城を開始し、二代宣勝・三代宣直へ引き継がれ、三代宣直の時代に主要部が整いました。
現況
城址公園として保存。堀・石垣に加え、表門・旧二の丸隅櫓が現存し、三階櫓・辰巳櫓は2004年に木造復元されています。

STORY

城の歩み

主な城主
溝口氏。
城の姿を変えた主な改修
寛文8年(1668年)の大火後に復旧・再建を重ねました。近現代では三階櫓・辰巳櫓を伝統工法で復元し、2004年7月に竣工。
廃城・役目を終えた時期
明治維新後に城郭建造物の多くが取り壊されましたが、表門・旧二の丸隅櫓などが残されました。

HISTORY

お城の歴史

本文
新発田城は、慶長3年(1598年)に溝口秀勝が、新発田重家時代の旧城を取り込む形で築城を始めた平城です。堀や土居の工事から整備を進め、二代宣勝、三代宣直へと引き継がれ、承応3年(1654年)に本丸書院が完成するまで約50年をかけて城の主要部が整えられ、その後も溝口氏の居城として城下町新発田の中心をなし、幕末まで受け継がれました。

寛文8年(1668年)の大火では城内の大部分が焼失し、その後、石垣や櫓・門などの再建が進められました。現在残る表門と旧二の丸隅櫓は江戸時代の城郭建造物で、昭和32年(1957年)に国の重要文化財に指定されています。

明治維新後には城の多くが失われましたが、堀、石垣、表門、旧二の丸隅櫓などが伝わり、城址公園として保存されています。城の象徴だった三階櫓と辰巳櫓は資料に基づく復元事業が進められ、平成16年(2004年)7月に竣工しました。

復元三階櫓は丁字型の屋根に3匹の鯱を載せる特徴的な姿を再現しています。現存建造物と復元建造物を分けて確認できることも、現在の新発田城の特徴です。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
堀、石垣、表門、旧二の丸隅櫓など。
建物はいつのもの?
表門・旧二の丸隅櫓は江戸時代から現存する城郭建造物。三階櫓・辰巳櫓は2004年の木造復元です。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国重要文化財「新発田城 表門」「新発田城 旧二の丸隅櫓」。城跡は市指定史跡。

SOURCES

出典元

  • 新発田城の変遷

    新発田市

    最終確認日:2026年8月9日

  • しばたの魅力

    新発田市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月9日

  • 画像:Drph17 / Wikimedia Commons / CC BY 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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