CASTLE / HISTORIC SITE
敷山城跡
敷山城跡は、防府市の矢筈ヶ岳南面に残る南北朝時代の山城跡です。もとは鎌倉時代中期に創建された験観寺で、1336年に南朝方の清尊・教乗らが寺院施設を城砦として利用し、足利尊氏方の軍勢と戦いました。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 延元元年・建武3年(1336年)に城砦として使用。前身の敷山験観寺は鎌倉時代中期の創建とされています。
- 築城者
- 明確な築城者はいません。1336年に周防国衙の役人・清尊、教乗らが敷山験観寺の寺院施設を城砦として利用しました。
- 現況
- 国指定史跡として保存される山城跡。寺院を城砦として利用した遺跡で、本堂跡や僧坊跡などが残ります。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 清尊、教乗、大内弘直ら(南朝方の籠城勢力)
- 城の姿を変えた主な改修
- 本来の寺院施設を1336年の戦いで城砦として利用したもので、恒常的な城郭として大規模に改修されたことは確認されていません。
- 廃城・役目を終えた時期
- 延元元年・建武3年(1336年)7月4日に足利方の軍勢との戦いで落城し、城砦としての役目を終えました。
HISTORY
お城の歴史
敷山城跡は、もともと矢筈ヶ岳南面に営まれていた験観寺を利用した城跡です。1336年(延元元・建武3)、足利尊氏に対抗した周防国衙の役人・清尊、教乗らがここに立てこもり、大内弘直らも南朝方として戦いました。足利方は上野頼兼らを中心とする軍勢を送り、戦いの末に同年7月4日に落城し、清尊・教乗は自害しました。この戦いは周防・長門における南北朝争乱の初期を示す出来事とされます。城は専用に築かれた城郭ではなく寺院施設を防御拠点として利用したもので、現在は「十二段」と呼ばれる平坦地や本堂跡の石垣・礎石、僧坊跡などに当時の姿をしのぶことができます。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 「十二段」と呼ばれる平坦地、本堂跡を巡る方形の石垣と礎石、僧坊跡、梵字岩などが残ります。
- 建物はいつのもの?
- 城郭建築は現存していません。現在見られるのは、寺院の本堂跡や僧坊跡に残る石垣・礎石などの遺構です。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「敷山城跡」。昭和10年(1935年)6月7日指定(文部省告示第215号)。
SOURCES
出典元
- 令和元年度防府市の教育概要
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運営者:防府市
最終確認日:2026年9月26日
- 敷山城跡
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運営者:山口県観光スポーツ文化部文化振興課
最終確認日:2026年9月26日
- 敷山城跡
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月26日
- 日本100名城・続日本100名城 地図から探す
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運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月26日
- 画像:MChew
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出典画像 / Public Domain (PD-self) / 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年9月26日