CASTLE / HISTORIC SITE
箕輪城
群馬県高崎市の箕輪城は、戦国時代に西上野の中核となった平山城です。長野氏から武田氏、織田氏、小田原北条氏を経て井伊直政へと支配が移るたびに姿を変え、現在も最大幅40メートル・深さ10メートルに及ぶ堀が城の規模を伝えます。2026年には本丸西虎口門も復元公開されました。
INFORMATION
基本情報
- 所在地
- 群馬県高崎市
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 15世紀後半〜16世紀前半ごろに長野氏が築いたとされます。築城者・築城年には複数説があるため単一年では断定しません。
- 築城者
- 長野氏。戦国期に武田氏・織田氏・小田原北条氏の支配を経て、天正18年(1590年)に井伊直政が入城。
- 現況
- 国指定史跡。大規模な堀・土塁・虎口などが残り、発掘成果に基づく門、石垣、木橋の復元整備が進められています。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 長野氏、武田氏、織田氏、小田原北条氏、徳川氏配下の井伊直政。
- 城の姿を変えた主な改修
- 支配勢力の交代ごとに改修され、現在の城跡は井伊直政在城期の姿を強く残します。近年は2016年に郭馬出西虎口門、2022年に本丸・蔵屋敷間木橋、2026年に本丸西虎口門を復元・整備。
- 廃城・役目を終えた時期
- 慶長3年(1598年)、井伊直政が高崎へ移り、箕輪城は廃城となりました。
HISTORY
お城の歴史
- 本文
-
箕輪城は、榛名山東南麓の低い尾根と周辺の平地を利用した戦国時代の平山城です。高崎市は成立を15世紀後半から16世紀前半ごろとし、長野氏によって築かれた城としています。城は西上野の重要拠点となり、永禄9年(1566年)に武田氏の攻撃で長野氏の支配が終わった後も、武田氏、織田氏、小田原北条氏へと支配者が変わりながら使われました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻め後に徳川家康が関東へ入ると、井伊直政が箕輪城主となります。現在の城跡は井伊直政在城期の姿を強く残すとされ、本丸などの曲輪を巨大な堀で区切る構造が特徴です。慶長3年(1598年)、直政が高崎へ本拠を移したことで箕輪城は廃城となりました。
その後、城郭建造物は失われましたが、堀・土塁・虎口などの遺構が良好に残り、昭和62年(1987年)に国の史跡に指定されます。高崎市は発掘調査をもとに保存整備を進め、2016年に郭馬出西虎口門、2022年に本丸・蔵屋敷間木橋を整備し、2026年4月4日には本丸西虎口門を公開しました。いまの箕輪城では、残った土の遺構と現代に復元された門・橋を見分けながら、戦国城郭の構造を立体的に歩くことができます。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 本丸をはじめとする曲輪、大規模な堀、土塁、虎口、石垣・排水遺構など。
- 建物はいつのもの?
- 戦国期の城郭建造物は現存しません。郭馬出西虎口門、本丸・蔵屋敷間木橋、本丸西虎口門などは発掘調査・絵図・類例をもとに復元整備されたものです。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「箕輪城跡」。高崎市の現行文化財情報に基づき「特別史跡」ではなく「史跡」として扱います。
SOURCES
出典元
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箕輪城跡(高崎市の文化財)
高崎市
最終確認日:2026年8月9日
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史跡箕輪城跡保存整備事業について
高崎市
最終確認日:2026年8月9日
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日本100名城®一覧
公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年8月9日
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画像
/
Wikimedia Commons
/
Public Domain
/ 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年8月9日