CASTLE / HISTORIC SITE

烏山城跡

烏山城跡は、栃木県那須烏山市の八高山に築かれた中世から近世の山城です。那須氏の本拠として発展し、江戸時代には烏山藩の城となりました。曲輪、土塁、空堀、石垣などが良好に残る国指定史跡です。

烏山城跡の遺構

INFORMATION

基本情報

種別
城
推定築城年代
古記録・系譜によれば、応永25(1418)年に沢村五郎資重が現在地に築城したと伝えられる。
築城者
沢村五郎資重が応永25(1418)年に築いたと伝えられる。
現況
城跡。標高206メートルの八高山と周辺丘陵に五城三郭と呼ばれる曲輪群が広がり、現在は大部分が山林となっている。遊歩道が整備され、土塁、空堀、石垣などの遺構を見学できる。

STORY

城の歩み

主な城主
沢村五郎資重をはじめとする那須氏、堀親昌、板倉氏、永井氏、稲垣氏、大久保常春をはじめとする大久保氏など
城の姿を変えた主な改修
明応2(1493)年に那須資実が城域を拡張したと伝えられる。近世には城郭構造も変化し、万治2(1659)年に堀親昌が東山麓へ三の丸と御殿を築き、城主の居住地と藩政機能を山上から山麓へ移した。
廃城・役目を終えた時期
明治2(1869)年、版籍奉還に伴って烏山藩の城としての役割を終え、廃城となった。

HISTORY

お城の歴史

烏山城は、古記録や系譜によれば、応永25(1418)年に那須氏一族の沢村五郎資重が築いたと伝えられています。以後は下那須氏の本拠となり、永正13(1516)年の上下那須氏統一後は那須宗家の居城となりました。天正18(1590)年に那須氏が改易された後は、織田氏、成田氏、松下氏、堀氏、板倉氏など城主がたびたび交替しました。万治2(1659)年には堀親昌が東山麓に三の丸と御殿を築き、藩政の中心を山上から山麓へ移しました。享保10(1725)年からは大久保氏が8代にわたり城主を務め、明治2(1869)年の版籍奉還で廃城となりました。現在は曲輪、堀、土塁、石垣などが良好に残り、令和5(2023)年に国の史跡に指定されています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
古本丸、本丸、中城、西城、北城、常盤曲輪、若狭曲輪、大野曲輪などの曲輪群、竪堀、横堀、堀切、土塁、本丸・常盤曲輪・三の丸などの石垣が残る。発掘調査では建物跡や陶磁器、かわらけなども確認されている。
建物はいつのもの?
城内の城門、御殿、長屋などの城郭建造物は現存しておらず、現在は曲輪、土塁、堀、石垣などの遺構が中心に残る。絵図や発掘調査によって本丸の櫓門や三の丸御殿など、江戸時代の建物配置や構造が確認されている。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「烏山城跡」。令和5(2023)年3月20日指定。

SOURCES

出典元

国指定文化財等データベース「烏山城跡」

運営者:文化庁

最終確認日:2026年9月19日

宮原八幡宮本殿

運営者:那須烏山市

最終確認日:2026年9月19日

烏山城 概要

運営者:那須烏山市

最終確認日:2026年9月19日

烏山城跡

運営者:那須烏山市

最終確認日:2026年9月19日

烏山城跡

運営者:栃木県

最終確認日:2026年9月19日

烏山城跡(国指定史跡)

運営者:那須烏山市

最終確認日:2026年9月19日

画像:Abasaa

出典画像 / Public domain (PD-self) / 表示用にトリミング・リサイズしています

最終確認日:2026年9月19日

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