CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

大阪城

大阪府大阪市中央区の大阪城は、豊臣秀吉が1583年に築城を始めた大坂城を起点に、徳川幕府の再築、明治以降の軍用地化、1931年の天守閣建設という異なる時代が重なる城です。現在地上に見える大規模な石垣や堀は主に徳川期のもので、豊臣期の城郭はその下に埋もれています。現天守閣は大阪市が「模擬天守閣」と案内する三代目の建物です。

大阪城

INFORMATION

基本情報

所在地
大阪府大阪市中央区
種別
推定築城年代
天正11年(1583年)に豊臣秀吉が大坂城の築城を開始。大坂の陣後、元和6年(1620年)から徳川幕府が再築。現在の天守閣は昭和6年(1931年)建設。
築城者
豊臣秀吉(豊臣期)、徳川幕府・徳川秀忠(徳川期の再築)
現況
現存建造物・昭和期天守閣あり

STORY

城の歩み

主な城主
豊臣氏、徳川将軍家、大坂城代など
城の姿を変えた主な改修
元和6年(1620年)から徳川幕府が豊臣期大坂城を盛土で覆い、城郭を全面的に再築。現在の天守閣は昭和6年(1931年)に市民の寄付などを受けて鉄骨鉄筋コンクリート造で建設され、平成7年(1995年)〜平成9年(1997年)に大改修。
廃城・役目を終えた時期
明治元年(1868年)の動乱で多くの建造物が焼失し、その後は陸軍の管轄へ移った。単一の廃城年月日としては扱わない。

HISTORY

お城の歴史

本文
大阪城の地には、豊臣秀吉の築城以前に石山本願寺が置かれていました。秀吉は1583年に大坂城の築城を始め、豊臣政権の本拠としましたが、1615年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅び、城も大きな被害を受けます。

徳川幕府は1620年から大坂城を全面的に築き直し、豊臣期の城郭を約2メートルの盛土で覆った上に新たな石垣や堀、建造物を整えました。そのため、現在地上で見られる大規模な石垣や堀、現存する櫓や門は、豊臣秀吉の城そのものではなく主に徳川期の大坂城に由来します。

徳川期の天守は1665年に落雷で焼失し、その後長く再建されませんでした。明治維新期には多くの建造物を失い、城内は陸軍の管轄となります。

現在の天守閣は1931年に市民の寄付などを受けて鉄骨鉄筋コンクリート造で建てられた三代目で、国の登録有形文化財にもなっています。現在は地下の豊臣期石垣を公開する施設も整備され、豊臣・徳川・昭和という三つの時代を現地で見比べられる城になっています。

大手門や多聞櫓、千貫櫓など徳川期の古建造物も残っており、昭和の天守閣とは年代がまったく異なります。一つの城内で地上の徳川期、地下の豊臣期、昭和の天守閣を見分けることが、大阪城の歴史を理解する近道です。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
大手門、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、焔硝蔵、金蔵、金明水井戸屋形、桜門、塀、石垣、堀など。
建物はいつのもの?
現天守閣は昭和6年(1931年)建設の鉄骨鉄筋コンクリート造で、大阪市公式では「模擬天守閣」と案内されている。大手門・櫓・蔵・金明水井戸屋形・塀など13棟は国指定重要文化財として現存。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定特別史跡「大坂城跡」。大手門・櫓・蔵・金明水井戸屋形・塀など13棟が国指定重要文化財。現天守閣は国登録有形文化財および大阪市指定有形文化財。

SOURCES

出典元

  • 大阪城

    大阪市中央区

    最終確認日:2026年8月8日

  • 大阪城 豊臣石垣館

    大阪城天守閣

    最終確認日:2026年8月8日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月8日

  • 画像:Balon Greyjoy / Wikimedia Commons / CC0 1.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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