CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

長篠城

愛知県新城市の長篠城は、永正5年(1508年)に菅沼元成が築き、豊川と宇連川が合流する断崖を天然の防御に利用した城です。天正3年(1575年)の武田勝頼による攻撃では奥平貞昌が守り、その後の設楽原での合戦へ続きました。現在は国指定史跡として内堀・土塁・曲輪などが残ります。

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INFORMATION

基本情報

所在地
愛知県新城市
種別
推定築城年代
永正5年(1508年)に菅沼元成が築城。天正3年(1575年)に奥平貞昌が守る城を武田勝頼が攻撃し、翌天正4年(1576年)に奥平信昌が新城城へ移って廃城となりました。
築城者
菅沼元成。永正5年(1508年)築城。
現況
国指定史跡「長篠城跡」。本丸などの曲輪、一部の内堀・土塁が残り、豊川と宇連川の合流点にある断崖・河川を天然の防御に利用した立地を確認できます。

STORY

城の歩み

主な城主
菅沼氏、奥平氏。
城の姿を変えた主な改修
戦国期に今川・徳川・武田の勢力争いの中で拠点として利用され、天正3年(1575年)には奥平貞昌が守備を担いました。近現代には史跡として保存・整備されています。
廃城・役目を終えた時期
天正4年(1576年)、奥平信昌が新城城へ移り、長篠城は廃城となりました。

HISTORY

お城の歴史

本文
長篠城は、豊川と宇連川が合流する断崖上に、永正5年(1508年)に菅沼元成が築いた城です。東三河から遠江・信濃方面へ通じる交通上の要地にあり、今川氏、松平元康(徳川家康)、武田氏の勢力争いの中で帰属を変えました。

元亀2年(1571年)には武田方となりましたが、天正元年(1573年)に家康が奪回し、天正3年(1575年)には奥平貞昌を城主として武田勝頼の侵攻に備えました。同年5月、武田軍が長篠城を攻撃し、奥平勢は籠城を続け、救援に来た織田・徳川軍と武田軍は21日に設楽原で戦いました。

戦いの後、奥平貞昌は信昌と改名し、天正4年(1576年)に新城城へ移ったため、長篠城は廃城となりました。城は二つの川を天然の堀として利用し、陸続きとなる東側を内堀と土塁で守る構造を備えていました。

現在は戦国期の建造物は残っていませんが、本丸をはじめとする曲輪、一部の内堀や土塁、断崖と河川による地形から当時の防御構造を確認できます。長篠城跡は昭和4年(1929年)12月17日に国の史跡に指定され、隣接する長篠城址史跡保存館では長篠の攻防や設楽原の戦いに関する資料が展示されています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
本丸などの曲輪、一部の内堀、土塁、豊川・宇連川の合流点にある断崖と河川地形など。
建物はいつのもの?
戦国期の城郭建造物は現存しません。長篠城址史跡保存館は後世の展示施設であり、城郭建造物とは区別します。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「長篠城跡」。昭和4年(1929年)12月17日指定。

SOURCES

出典元

  • 史跡長篠城跡

    新城市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 国指定史跡長篠城跡の案内

    新城市

    最終確認日:2026年8月9日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月9日

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