CASTLE / HISTORIC SITE
芥川城跡
芥川城跡は、大阪府高槻市の三好山に築かれた戦国時代の山城跡です。細川氏や三好氏の拠点となり、三好長慶の時代には畿内支配の政庁として機能しました。曲輪や堀切、土塁、石垣が良好に残る国指定史跡です。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 永正13年(1516)までに築城されたと考えられている。同年の文献に「新城」として登場する。
- 築城者
- 室町幕府管領で摂津国守護の細川高国が築城したと考えられている。
- 現況
- 国指定史跡として保存される山城跡。三好山を中心に曲輪、堀切、土塁、石垣などの戦国時代の城郭遺構が良好に残る。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 能勢頼則、細川晴元、三好長慶、三好義興、和田惟政。永禄12年(1569)以降は高山飛騨守・右近父子が城を預かった。
- 城の姿を変えた主な改修
- 具体的な大規模改修の年次や主体は明確ではないが、築城から廃城までの変遷が遺構から確認されている。戦国時代後期には東西約500メートル、南北約400メートルに3つの曲輪群が展開し、総計28の曲輪や要所の石垣、主郭の礎石建物などを備える大規模な山城となっていた。
- 廃城・役目を終えた時期
- 永禄12年(1569)、城主の和田惟政が高槻城へ居城を移したことで、芥川城は城郭としての機能を失ったとされる。
HISTORY
お城の歴史
芥川城は、室町幕府の管領で摂津国守護を務めた細川高国が永正13年(1516)までに築いたと考えられ、初代城主には能勢頼則が置かれました。その後は細川晴元らの拠点となり、天文22年(1553)には三好長慶が入城します。長慶は芥川城を本拠として畿内の政治を担い、城内では政務のほか、連歌や茶の湯、饗応なども行われました。永禄3年(1560)に長慶が飯盛城へ移ると三好義興が城主となり、永禄11年(1568)には足利義昭を奉じた織田信長も入城しました。その後は和田惟政が城主となりましたが、永禄12年(1569)に高槻城へ居城を移し、芥川城は城郭としての役割を終えたとされています。現在は戦国期の山城遺構が良好に残り、令和4年(2022)に国の史跡に指定されました。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 3つの曲輪群に分かれた総計28の曲輪をはじめ、堀切、土塁、大手の石垣などが残る。主郭では礎石建物跡、その直下の曲輪では倉庫と考えられる塼列建物跡が確認されている。
- 建物はいつのもの?
- 天守・櫓・門などの城郭建造物は現存していない。発掘調査では主郭の礎石建物跡や塼列建物跡などが確認され、当時、城内に本格的な建物が存在していたことが分かっている。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「芥川城跡」。令和4年(2022)11月10日指定。指定面積66,610.91平方メートル。
SOURCES
出典元
- 史跡芥川城跡
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運営者:高槻市
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース 芥川城跡
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 年表
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運営者:高槻市
最終確認日:2026年9月18日
- 日本100名城・続日本100名城 地図から探す
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運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月18日
- 芥川城跡の発掘調査
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運営者:高槻市
最終確認日:2026年9月18日