CASTLE / HISTORIC SITE

尾高城跡

尾高城跡は、鳥取県米子市尾高に残る中世城郭です。鎌倉時代にさかのぼる居館を起点に、戦国期には西伯耆の拠点として発展し、曲輪、土塁、空堀、石垣など各時代の改修跡が残る国指定史跡です。

No Photo Townary / Townieで写真を準備中

INFORMATION

基本情報

種別
城
推定築城年代
城の成立年代は不明。13~14世紀には有力な在地領主の居館が存在し、15世紀に中世城館としての原型が形成され、16世紀に本丸・二の丸などを備える戦国城郭へ発展した。
築城者
築城者は特定されていない。13~14世紀の在地領主の居館を起点として段階的に形成され、15世紀以降に中世城館、16世紀に本格的な戦国城郭へ発展した。
現況
城跡。南北約400メートル、東西約300メートルの範囲に二の丸、本丸、中の丸、天神丸、越ノ前郭、南大首郭などの曲輪群が残り、土塁、空堀、石垣などが良好に保存されている。

STORY

城の歩み

主な城主
幸松氏、尼子氏方の吉田光倫、杉原盛重、吉川氏配下の城将、中村一忠など
城の姿を変えた主な改修
15世紀に方形単郭や群郭からなる城館が形成され、16世紀には大型の空堀と土塁を巡らせ、本丸・二の丸などを備える山城へ拡張された。16世紀末には吉川広家の配下によって本丸の土塁・切岸が改変され、石塁や北堀の石垣が築かれるなど、近世城郭化が進められた。
廃城・役目を終えた時期
関ヶ原の戦い後に中村一忠が一時入城し、慶長6(1601)年に米子城へ移った後は米子城の支城となった。元和元(1615)年の一国一城令を契機に廃城となったと考えられ、本丸北堀では石垣を意図的に崩した破城の痕跡が確認されている。

HISTORY

お城の歴史

尾高城跡は、大山西麓の交通の要衝に築かれた中世城郭です。城の始まりは明確ではありませんが、発掘調査では13~14世紀の有力な在地領主の居館跡が確認され、15世紀には方形の郭を持つ城館へ発展しました。16世紀前半には山名氏系の幸松氏が居城し、尼子氏の侵攻後は尼子・毛利両勢力の攻防の舞台となります。幸松氏の後には杉原盛重が城主となり、毛利・吉川氏による西伯耆支配の拠点として城郭が大規模に整備されました。16世紀末には吉川氏のもとで本丸周辺に石垣や石塁が導入され、土の城から近世城郭へと姿を変えます。関ヶ原の戦い後には中村一忠が一時入城し、米子城完成後はその支城となりましたが、元和元(1615)年の一国一城令を契機に廃城となったと考えられています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
二の丸、本丸、中の丸、天神丸、越ノ前郭、南大首郭などの曲輪、土塁、空堀、切岸、石垣、石塁、虎口などが残る。発掘調査では礎石建物跡、柱穴、築地塀や門の基礎と考えられる遺構、崩された石垣なども確認されている。
建物はいつのもの?
中世から近世初頭の城郭建造物は現存しない。南大首郭では発掘調査成果をもとに土塁と木橋が復元されているが、当時の建物そのものではない。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
国指定史跡「尾高城跡」。令和6(2024)年2月21日指定。国史跡指定範囲以外の一部は米子市指定史跡「尾高城跡」として昭和52(1977)年4月1日に指定されている。

SOURCES

出典元

国・市指定史跡 尾高城跡

運営者:米子市

最終確認日:2026年9月19日

国指定史跡 尾高城跡

運営者:米子市

最終確認日:2026年9月19日

国指定文化財

運営者:米子市

最終確認日:2026年9月19日

国指定文化財等データベース「尾高城跡」

運営者:文化庁

最終確認日:2026年9月19日

市指定文化財

運営者:米子市

最終確認日:2026年9月19日

OUR CONCEPT

日本を散歩する、
街の辞書。

Townary JAPANは、日本全国47都道府県・市区町村の地域情報を起点に、道の駅、ご当地グルメ、歴史、文化、名所、交通、暮らしなど、街にまつわるさまざまな情報をつないでいく「日本を散歩する街の辞書」です。

有名な観光地だけを紹介するのではなく、地図を歩き、街から街へ情報をたどるうちに、これまで知らなかった場所や、少し気になる場所に出会えることを大切にしています。

旅をするときも、暮らす街を知りたいときも、目的を決めずに日本を眺めたいときも。Townary JAPANは、一つひとつの街の個性をつなぎながら、日本をもっと身近に、もっと面白く感じるための入口をつくっていきます。