CASTLE / HISTORIC SITE
米子城跡
米子城跡は、鳥取県米子市の湊山を中心に築かれた平山城跡です。吉川広家が築城を進め、中村一忠の時代に完成した近世城郭で、現在も本丸や石垣、枡形、虎口などが良好に残る国指定史跡です。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 応仁から文明年間(1467~1487)に山名宗之が飯山に砦を築いたのが始まりと伝わる。現在の湊山を中心とする近世城郭は天正19年(1591)に吉川広家が築城を開始し、慶長7年(1602)頃に中村一忠のもとで完成したとされる。
- 築城者
- 飯山の初期の砦は山名宗之が築いたと伝わる。近世城郭としての米子城は吉川広家が天正19年(1591)に築城を開始し、吉川氏転封後に中村一忠が工事を引き継いで完成させた。
- 現況
- 城郭建造物は失われているが、本丸、内膳丸、二の丸などの郭や石垣、枡形、虎口、礎石、御殿井戸などが残り、国指定史跡として保存・整備が進められている。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 山名氏、吉川広家、中村一忠、加藤貞泰、池田由之ら池田氏、荒尾氏。寛永9年(1632)以降は鳥取藩家老の荒尾氏が代々米子城を預かった。
- 城の姿を変えた主な改修
- 天正19年(1591)、吉川広家がそれまで飯山を中心としていた城を、湊山を中心とする本格的な近世城郭として築き始めた。関ヶ原の戦い後に中村一忠が築城を引き継ぎ、五重の天守と四重櫓を備えた本丸、城主御殿を置く二の丸などを整備して慶長7年(1602)頃に完成させた。中村氏期には家老横田内膳の監督による内膳丸も築かれ、本丸西側の防御が強化された。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治2年(1869)に荒尾氏から藩庁へ引き渡され、明治5年(1872)には城山が士族へ払い下げられた。明治6年(1873)に天守など城内の建物が売却され、その後数年のうちに取り壊された。
HISTORY
お城の歴史
米子城は、応仁から文明年間(1467~1487)に山名宗之が飯山に砦を築いたのが始まりと伝わり、文明2年(1470)には文献にその名が現れます。現在の湊山を中心とする本格的な近世城郭は、天正19年(1591)に吉川広家が築城を開始しました。関ヶ原の戦い後に吉川氏が岩国へ移ると、伯耆国の領主となった中村一忠が工事を引き継ぎ、慶長7年(1602)頃に完成したとされています。その後は加藤氏、池田氏へと引き継がれ、寛永9年(1632)から明治初期までは鳥取藩家老の荒尾氏が代々城を預かりました。明治2年(1869)に藩庁へ引き渡され、明治5年(1872)には城山が払い下げられ、翌年から建物が売却されて数年のうちに取り壊されました。現在は石垣や郭などが残り、平成18年(2006)に国の史跡に指定されています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 湊山の本丸をはじめ、内膳丸、二の丸などの郭、高石垣、天守や櫓の礎石、枡形、虎口、御殿井戸、登り石垣の一部などが残る。二の丸では高石垣と枡形、虎口が良好な状態で残されている。
- 建物はいつのもの?
- 五重の天守、四重櫓、門、櫓、御殿など米子城の城郭建造物は現存しておらず、復元・復興天守もない。本丸には天守などの礎石が残る。二の丸下段には、かつて外郭の武家屋敷にあった小原家の長屋門が移築されている。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「米子城跡」。平成18年(2006)1月26日に本丸、内膳丸、二の丸などが史跡に指定され、令和3年(2021)3月26日に三の丸の一部が追加指定された。
SOURCES
出典元
- 国史跡 米子城跡
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運営者:米子市
最終確認日:2026年9月17日
- 国指定文化財等データベース 米子城跡
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月17日
- 米子城の歴史
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運営者:米子市
最終確認日:2026年9月17日
- 米子城跡の姿
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運営者:米子市
最終確認日:2026年9月17日
- 画像:Reggaeman
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最終確認日:2026年9月17日