CASTLE / HISTORIC SITE
徳島城
徳島城は、徳島市中心部の城山を中心に蜂須賀家政が築いた近世平山城です。阿波・淡路を治めた蜂須賀氏の居城として幕末まで続き、現在は青石の石垣や内堀、旧表御殿庭園などが残る国指定史跡です。
INFORMATION
基本情報
- 種別
- 城
- 名城選定
- 日本100名城
- 推定築城年代
- 天正13(1585)年に蜂須賀家政が本格的な築城を開始し、天正14(1586)年に完成したと伝わる。前身として中世の猪山城が存在した。
- 築城者
- 蜂須賀家政。豊臣秀吉が城地を選定し築城を命じ、小早川隆景や長宗我部元親らも築城に協力したと伝わる。
- 現況
- 城跡。徳島中央公園として整備され、本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸などの曲輪、青石を用いた石垣、内堀、旧徳島城表御殿庭園などが残る。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 蜂須賀家政、蜂須賀至鎮をはじめとする蜂須賀氏
- 城の姿を変えた主な改修
- 天正13~14(1585~1586)年の築城後も石垣や城下の整備が進められ、現存する石垣には天正期、文禄・慶長期、元和・寛永期など各時期の築造・改修の特徴が残る。天保14(1843)年頃には西の丸隠居屋敷の造営に伴う石垣整備も行われたと考えられている。
- 廃城・役目を終えた時期
- 明治維新後に藩城としての役割を終え、明治8(1875)年に鷲の門を除く城郭建築が撤去された。
HISTORY
お城の歴史
徳島城は、中世の猪山城を前身とし、天正13(1585)年に阿波へ入った蜂須賀家政が豊臣秀吉の命を受けて本格的な築城を始め、翌天正14(1586)年に完成したと伝わります。築城と並行して城下町も整えられ、徳島は蜂須賀氏の領国支配の中心となりました。城山山頂には本丸や二の丸などが置かれ、麓には藩政を担う表御殿が設けられました。江戸時代には阿波・淡路を治める蜂須賀氏の居城として維持され、東二の丸には三層三階の天守が置かれていました。明治維新後に城としての役割を終え、明治8(1875)年に鷲の門を除く城郭建築が撤去されました。残った鷲の門も昭和20(1945)年の徳島大空襲で焼失し、現在は石垣、内堀、曲輪、旧表御殿庭園などが城郭の姿を伝えています。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸などの曲輪、阿波の青石を用いた石垣、枡形、内堀、旧徳島城表御殿庭園などが残る。石垣には天正期から江戸後期までの各時期の積み方が見られる。
- 建物はいつのもの?
- 江戸時代の城郭建築は現存しない。明治8(1875)年の撤去後も残った鷲の門は昭和20(1945)年の徳島大空襲で焼失し、現在の鷲の門は平成元(1989)年に徳島市制100周年を記念して復元されたもの。東二の丸にあった三層三階の天守も現存・復元されていない。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「徳島城跡」。平成18(2006)年1月26日指定。城内に残る「旧徳島城表御殿庭園」は国指定名勝で、昭和16(1941)年12月13日指定。
SOURCES
出典元
- とくしまヒストリー ~第2回~ 城下町誕生秘話-徳島築城-
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運営者:徳島市
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース「徳島城跡」
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運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 国指定文化財等データベース「旧徳島城表御殿庭園」
-
運営者:文化庁
最終確認日:2026年9月18日
- 広報とくしま テキスト版 2022年4月15日号
-
運営者:徳島市
最終確認日:2026年9月18日
- 徳島中央公園
-
運営者:徳島市
最終確認日:2026年9月18日
- 日本100名城®一覧
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運営者:公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年9月18日
- 画像:Tōjichi
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出典画像 / CC BY-SA 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています
最終確認日:2026年9月18日