CASTLE / HISTORIC SITE
山中城
静岡県三島市の山中城は、16世紀半ばに小田原北条氏が西方防備のため築いた山城です。天正18年(1590年)の小田原攻めで半日で落城して廃城となり、現在は国指定史跡として障子堀・畝堀・土塁・曲輪など、土を生かした北条氏の築城技術が保存・整備されています。
INFORMATION
基本情報
- 所在地
- 静岡県三島市
- 種別
- 城
- 推定築城年代
- 16世紀半ば(永禄年間頃)に小田原北条氏が築城。天正18年(1590年)3月29日に豊臣秀吉の小田原攻めで落城し、そのまま廃城となりました。
- 築城者
- 小田原北条氏。三島市の資料では北条氏康による築城とする説明もありますが、Townaryでは日本城郭協会・文化財課の表記に合わせ「小田原北条氏」を基本とします。
- 現況
- 国指定史跡「山中城跡」。障子堀・畝堀、曲輪、土塁など土を主体とする城郭遺構が発掘・整備され、史跡公園として公開されています。
STORY
城の歩み
- 主な城主
- 小田原北条氏。
- 城の姿を変えた主な改修
- 昭和48年(1973年)から発掘調査と環境整備が進められ、堀・曲輪などは遺構を保護しながら形状が理解できるよう整備されています。
- 廃城・役目を終えた時期
- 天正18年(1590年)3月29日、小田原攻めに伴う攻撃で半日で落城し、以後廃城となりました。
HISTORY
お城の歴史
- 本文
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山中城は、戦国時代の16世紀半ばに小田原北条氏が、小田原城の西方を守る拠点として箱根西麓に築いた山城です。韮山城や足柄城とともに国境防備を担い、石垣に頼らず地形と土を利用した曲輪・土塁・堀を組み合わせて防御を固めました。
なかでも堀底に土手状の障壁を残す「障子堀」や「畝堀」は、後北条氏の城に特徴的な遺構として知られています。天正18年(1590年)3月29日、豊臣秀吉の小田原攻めに伴い大軍の攻撃を受け、山中城は半日で落城し、そのまま廃城となりました。
昭和9年(1934年)に国の史跡に指定され、昭和48年(1973年)から発掘調査と環境整備が進められました。発掘では堀や土塁、木橋跡、門柱跡などが確認され、遺構を保護しながら城郭の形を理解できるよう整備されています。
昭和56年(1981年)からは史跡公園として一般公開され、障子堀や畝堀を実際に歩きながら城の構造を学べるようになりました。現在の堀は崩壊を防ぐため芝生で覆われていますが、本来は赤土が露出した滑りやすい斜面で、土そのものを防御に生かした城の工夫を現地で読み取ることができます。
WHAT REMAINS
いま残る城の姿
- 今も残っているもの
- 障子堀、畝堀、曲輪、土塁、木橋跡、門柱跡など。発掘成果に基づき史跡として整備されています。
- 建物はいつのもの?
- 戦国期の城郭建造物は現存しません。現在の堀などは遺構保護のため芝生で覆われていますが、本来は赤土が露出した土の城でした。
HERITAGE
文化財として残るもの
- 指定されているもの
- 国指定史跡「山中城跡」。昭和9年(1934年)1月22日指定、昭和54年(1979年)3月20日追加指定。
SOURCES
出典元
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国指定 記念物 山中城跡
三島市
最終確認日:2026年8月9日
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山中城跡(国指定文化財「史跡」)
三島市
最終確認日:2026年8月9日
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日本100名城®一覧
公益財団法人日本城郭協会
最終確認日:2026年8月9日