CASTLE / HISTORIC SITE

日本100名城

松本城

長野県松本市の平地に築かれた松本城は、戦国時代の深志城を前身とする平城です。大天守・乾小天守・渡櫓は松本市の公式見解で1593〜1594年頃の築造とされ、現存する五重六階の天守では日本最古。戦いに備えた天守群へ、江戸初期に武備を持たない月見櫓が加わった姿も松本城ならではの特徴です。

松本城

INFORMATION

基本情報

所在地
長野県松本市
種別
推定築城年代
前身は戦国時代の深志城。大天守・乾小天守・渡櫓は松本市の公式見解で文禄2〜3年(1593〜1594年)頃の築造。
築城者
石川数正・康長父子(大天守・乾小天守・渡櫓)、松平直政の時代に辰巳附櫓・月見櫓を増築
現況
現存建造物あり

STORY

城の歩み

主な城主
小笠原氏、石川氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏など
城の姿を変えた主な改修
明治期に保存修理が行われ、昭和25年(1950年)〜昭和30年(1955年)に解体修理を実施。黒門は復興、太鼓門は平成11年(1999年)に復元された。
廃城・役目を終えた時期
明治4年(1871年)の廃藩置県後、明治5年(1872年)に天守などが競売にかけられた。市民による保存活動で天守は残された。

HISTORY

お城の歴史

本文
松本城は、戦国時代に築かれた深志城を前身とします。1582年に小笠原貞慶が深志城へ入り、城名を松本城へ改めたとされ、1590年には石川数正が入封しました。

数正と康長父子は城と城下町の整備を進め、大天守・乾小天守・渡櫓については1593〜1594年頃に築造されたというのが松本市の公式見解です。江戸時代初めには辰巳附櫓と月見櫓が加えられ、戦いを意識した天守群に、武備を持たない開放的な月見櫓が直接つながる独特の姿になりました。

明治維新後の1872年には天守が競売にかけられ、取り壊しの危機を迎えましたが、市川量造ら地元の人々による保存活動によって残されました。その後も傾きが進んだ天守を守る修理や、1950年から1955年にかけての解体修理が行われています。

現在、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟は国宝で、現存建造物と後世に復元された門を見比べながら城の変化をたどることができます。一方、現在見られる黒門や太鼓門は後世に復元された建造物で、国宝天守群とは成立した時代が異なります。

なお、黒い外観から「烏城」と呼ばれることがありますが、松本城管理課は歴史資料にその呼称が確認できないとして、松本城の別名ではないという見解を示しています。

WHAT REMAINS

いま残る城の姿

今も残っているもの
大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓、石垣、水堀、土塁、曲輪跡など。
建物はいつのもの?
大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が現存し国宝。現存する五重六階の天守としては日本最古と松本市が案内している。黒門は復興、太鼓門は復元された建造物。

HERITAGE

文化財として残るもの

指定されているもの
大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝。松本城は国指定史跡。

SOURCES

出典元

  • 天守とその構造

    松本市 松本城管理課

    最終確認日:2026年8月8日

  • 国宝 松本城

    松本市 松本城管理課

    最終確認日:2026年8月8日

  • 日本100名城®一覧

    公益財団法人日本城郭協会

    最終確認日:2026年8月8日

  • 画像:Manishprabhune / Wikimedia Commons / CC BY 4.0 / 表示用にトリミング・リサイズしています

    最終確認日:2026年8月9日

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